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見えない糸

それでも二人の見えない糸は、繋がっているはずだった。糸電話の糸や凧の糸ならいざ知らず、僕と妻との関係は、切っても切れないはずだった。嘘だと思われるかも知れないが、彼女と結婚して以来、二人はほとんど喧嘩もせずに、いつも仲良く過ごしていたし、家では笑顔が絶えなかったし、出かける前には、必ずキスもしていたし、一緒にどこかへ行く時は、手を繋いで歩いたし、夜は夜で、ショコラのような、甘い言葉も交わしたし。そんな二人の見えない糸が、果たして何の前触れもなく、突然切れたりするのだろうか?僕が思うに、そんなことはあり得なかったし、絶対あって欲しくはなかった。けれども電話は、それに反して、いきなりプツリと切れたのだ。だがしかし、電話が突然切れたのは、何かの電波的な障害なのかも知れなかった。きっと彼女は、電波の届かない山奥か、長いトンネルの中にいて、突然スマホが圏外になり、電話が切れただけかもと、僕は一瞬思ったけれど、こんな時間に、そんな場所へ行くなんて、僕にはやっぱり思えなかった。だとすると、彼女の電話は、どうしていきなり切れたのか?こんなことは、考えたくもなかったが、もしかすると、彼女は誰かに連れ去られ、その犯人が、電話を切ったのではあるまいか。あるいは彼女は、突発的な事故に遭い、のっぴきならない状況で、偶発的に電話が切れたのではあるまいか。それとも彼女は、意図的に、自ら電話を切ったのだろうか。そんなことを、いろいろ思えば思うほど、僕はますます不安になって、謎は深まるばかりだった。が、その時僕は気がついた。電話が駄目なら、メールがあるということに。そこで早速、短い文に絵文字を添えて、彼女に送信してみたが、いつまで経っても返信はなく、僕はまたもや、不安の渦に飲み込まれ、握りしめた頼みの綱も、ほとんど切れる寸前だった。まるで、芥川龍之介がペンで紡いだ、あの名作の糸のように…。


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