私が音楽を辞めた理由

私は小学校1年生の時からピアノを習っていました。
中学に上がるまでピアノは続け、そのピアノ教室主催のピアノの演奏会にも一回出ました。
中学に上がってから吹奏楽部へ。パーカッション(打楽器)になり、あらゆる打楽器は一通り全て叩けるようになり、特に、スネア(小太鼓)、ティンパニー、ドラムが得意でした。
高校に上がり、聞いている音楽の影響からバンドへ傾倒。バンド活動を開始しました。歌の練習はカラオケで。それから大学、社会人までずっとバンド活動をしていました。

でも私は、ある時突如としてバンドを辞め、音楽から完全に身を引きました。

理由は、バンドでの人間関係に疲れ果てたからです
バンドを組んでも、例え仲良くなっても、音楽性の違いや、後はメンバーのやる気によるぎくしゃく(例えば、ギターの人がバンドを掛け持ちし、その分忙しくなって曲の練習を怠るようになると、そこからトラブルが生じます。そのように練習をしてこないに関するトラブルは絶えませんでした)
また、ライブでやる曲に関するトラブル。誰もがやりたい曲は違います
そしてやりたくない曲を覚える苦痛。それでも覚えてしまえば楽しかったけれど、アカペラで歌詞を見ないで歌えるまで練習しなくてはいけないのでなかなかの負担でした。
そして、恋愛絡みのトラブル。気づいたらドラムとキーボードの人が恋愛絡み?でトラブルを起こしてドラムの人がもうキーボードの人とは絶対話したくないという態度になりそのまま解散へ…などなど。
数え上げたらきりがなく、バンドを結成していて楽しいのは最初の3か月位。後は気苦労が絶えないことがほとんどでした。
でも音楽が好きで、バンドがやりたくて、頑張っていたけれど。

その時に、プツンとなにか糸が切れてしまったのでしょうね


私はボイトレの教室に通うほど熱心に練習をしていたので、どこのバンド関係のサークルへ行っても「上手いね」「声量あるね」「ビブラートきれいだね」と褒められる位頑張っていました
人生の半分は音楽にかけていたと言っても過言ではないと思います
オリジナルも作ったりしていました

でもその人間関係のストレスが、ついに音楽が好きだという気持ちを上回ったのでしょう

それから10年以上ブランクを経て、私はまた音楽の世界へ戻ってきてしまいました
それほどに、音楽漬けだった人間が戻ることに、これほど時間がかかるほどに、心が傷だらけになっていました。
そういう人間関係を数えるのが面倒なほど経験し、血まみれになっていました。


いわゆる「歌ってみた」という動画を現在Youtube、ニコニコで上げさせてもらっています
https://www.youtube.com/channel/UC_SjtFvrGzh0FHPRjNd0-pw?view_as=subscriber
https://www.nicovideo.jp/my/mylist/#/65215007
ニコニコ生放送も不定期ですが、よくやっています。

音楽が楽しかったことを思いだし、そしてあろうことか、元プロだった音楽技師さんと出会い、その人が私の専属になりたいと、コンビを組んで一緒に活動をしようと言ってくれました。
その人も現在もバンド活動をしており、お互いバンドの人間関係で苦しんできた者同士、そして何より音楽性がとても合いました。
その技師さんは技術は凄いけれど、ニコニコやYoutube界隈についてはあまり詳しくなく、動画の作成も未経験。その分は私は私がカバーできるので、いい関係で、ずっとやっていけるのだと心から嬉しかった
「神様、どうか奪わないで」と、心から祈っていました
(バンドの人間関係経験から、どう頑張っても何らかの理由で引き離されることは多々あったため)
元プロだった方からしたら、アマチュアの私は本当に下手だと思います。それでも、いいものを持っていると、伸びるのを見守ってくれているのがわかりました
私もそれが嬉しく、その人の技術で格段に良くなった動画を出せるようになり、自分自身も練習に熱が入りました

しかし、同じ悲劇は繰り返されました
同じ社会人同士、バンドでの色々な経験をした者同士、いたわりあえる
そんな夢を見ていました
もしそれができるんだったら、私は社会人になってからもバンドを結成しては苦みを味わいながら解散をしてを繰り返すことはなかったはずです
この懐かしい苦しみと苦味。
そして大抵のこういうトラブルは、原因が結局よくわからないことがほとんど
だから、私の主観では「理不尽に苦痛を味あわされる」という形でまた傷になるのです
きっと傷つけた側は、傷つけている事実すら自覚もなく、覚えてもいず、忘れ去るのでしょう
でも傷つけられた側は、忘れない

これは私の完全なリスクマネジメントミスです
この独特の苦みを味わいたくないから、音楽を辞めたはずだったのに
だったら一人で歌ってみた動画を作成していた頃の方がはるかに良かった
この痛みを味わうくらいなら

私は乳がんになった時、丁度結婚式をしました。
その時に、どれほど練習を重ねても、余興で歌う歌が全然うまくならずに苦悩しました
そしてすべての治療が終わり、私の生活の中から「がん」がいなくなった時に、カラオケに行ったら、それが嘘だったかのように気持ちいいくらい声が出ていた
…不安の中にいると、体が固まり、喉も固まって声が出なくなるんだということを知りました。
特に高音が出なくなる。声量も出ない。

今まさに、その時ほどではないせよ、不安と苦味の中、喉が完全に固まってしまい、自由に伸びていた高音が出なくなっています
悔しい
こういう時こそ、歌いたいのに。

歌ってみた動画作成の際には、音楽技師さんに頼むとCDの音源のような音にしてくれます。
そのため、どの歌ってみた動画作成者も技師さんに依頼をします
そして無料でやってくれるアマチュアの方~プロの方までいらっしゃいます
別にその人だけが技師ではない
でも一瞬だけでも、一緒に活動を続けるという夢を見てしまった
その人の甘言を信じてしまった
それが今自分の痛みとして返ってきています
本当に甘かった
バンドじゃないから、土壌が違うということを感じながら新しく練習をしたりしていたからこそ、油断していた
所詮、音楽にこのキツい人間関係はつきものなのだ
だから私は、もう一人でやっていくと決めました。
技師さんの力は必要なので、複数の方にお願いをして、どの方ともほどほどの距離で適切にやっていけば、このようなリスクはもうないはず

色々言いたいことや想いもあるけれど、結局は自業自得
この件を相談した音楽に関わったことないある人が言っていました
「きっとどちらにせよいつかこうなっていただろうよ」と
その通りだと思います

関係改善のために相当努力をしました。
しかし、それをしなくなってよくなって、気づいたら私はボロボロでした
歌も歌えないほどに。

歌は自分が楽しむことが一番大事だと、いつも旦那と確認しあっていました
その人とのコンビはとても楽しかった。
楽しかったけれど、とてつもない落とし穴が待っていた

今はいい時代になりました
一人でも音楽ができる。
技師さんにお願いするのだってビジネスライクにやればいいだけ。距離をちゃんと取れば、勿論依頼する時に多少不快になることはありますが、人脈を広げていけばそれも減るでしょう
いっそ、自分でできるようになれないかな、とまで思っています

私の心の傷が癒えるまで
また歌えるようになるまで

私は二度と同じ轍は踏むまいと決意しました
ひとりで、音楽を続けていきます
また、歌うことが楽しくて仕方なかった自分を取り戻す
私は弱いけれど、泣き虫だけど、立ち止まる時もあるけど、いつかは必ず立ち上がり、前を向く
そして、新しいスタートを切るのです

もし心に響いたならば……投げ銭のひとつやふたつやみっつやよっつ!!よろしくお願い致す!(笑)