見出し画像

イスラム教をざっくり解説 ~何故みんな入信するのか?・過激派が多いのか?~

私は本を読むことが好きなので、一時期ISが暴挙をふるっていた頃に「そもそもイスラム教ってどんな宗教なんだろう」と思って本を読み漁ったのがきっかけです。
色々な本を読んで知った内容をざっくりまとめてみたいと思います

信者人口

2010年の地球人口約70億人中、キリスト教徒は約21億7千万人、イスラム教徒は約16億人で、それぞれ世界人口の31.4%、と23.2%を占めた。
2050年にはキリスト教徒とイスラム教徒人口はほぼ同じになる可能性がある
(https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H0I_W5A400C1EAF000/
日本経済新聞より)
現在日本で生活するムスリム(イスラム教の信者)は約10~20万人ほどいると言われています(調査によって結果に差異あり)

イスラム教とは

紀元7世紀頃に現れた預言者ムハンマドによって開かれた宗教。
神はアラーのみという一神教(神様は一人という考え方の宗教のこと)
預言者ムハンマドは最初にして最後の預言者とされ、以後預言者は現れないとされた。
ムハンマドの死後、コーランが編纂され、また妻や側近などが残したムハンマドの預言や慣習、発言などを集めたものがハディースとして編纂された。
イスラム教徒はこのコーランとハディースの教えを守って暮らしている

スンナ派=ムハンマドの教えや慣習(=スンナ)を忠実に守ろうという派
シーア派=スンナ派とほぼ同じだが、イスラム教の歴史観としてムハンマドの血統を重視する派
そのため、この2つの違いは、イスラム教の歴史観が違うだけで、内容はほぼ同じです。
割合はスンナ派が約9割。シーア派その他少数集派が約1割

イスラム教入信方法

ムスリムになろうとする人は、証人の前で「神のほかに神はなし」「ムハンマドは神の師となり」の2句からなる信仰告白(シャハーダ)を行うこと

イスラム教の信仰行為

・信仰告白(シャハーダ)
・礼拝(サラー)
・喜捨(ザカート)
・断食(サウム)
・巡礼(ハッジ)

礼拝は1日のうち決まった時間に5回メッカにあるカアバに向かって礼拝をします。礼拝の方法には一定の決まりがあり、普段は家庭など個人で行ってもいいが、イスラムの祝日である金曜日には、5回のうち1回のお昼の礼拝は、モスクに集まってみんなで行うことが奨励されます
各礼拝時間は、一回目は夜明け、2回目は夜明け以降、3回目はお昼、4回目は日没から日がなくなるまで、5回目は夜です。
喜捨は、仏教のようなイメージのものとは違い、財産税のようなもので、そのお金を集めて貧者の救済に充てられる。持っている財産によって支払う額が変わります。
断食は、ラマダーンという断食をする月の間、日の出から日没にかけて一切の飲食を断つことにより、空腹や自己犠牲を経験し、飢えた人や平等への共感を産むことを重視し、その苦しみを分かち合うことでムスリム同士の連帯感を強めるものです。
ただし旅行者や、妊産婦、病人、乳幼児、老人など合理的な事情のある場合は断食が免除されるとか
巡礼とは、人生のうちで一度でいいからメッカへ巡礼へ行きましょうというものです
また、有名な教義のひとつに、豚肉を食べてはならない、お酒を飲んではならないというものもありますね。ただし豚肉以外の肉であれば、イスラム教の教えに沿って処理されたものであれば食べることができます。そういう食品のことをハラールといいます。
後述する私の友人の友人でイスラム教に改宗した友人も、イスラム教にはなったけど食には特に困ったり、好きなものが食べれなくなったという感じはしない、という感想を言っていたそうです
また、女性だけが頭を出した状態で外に出てはいけないという教義がありますが、それも実際にイスラム教圏では日差しが強い中東地方が多いため、実際に頭に布をかぶせていた方が強すぎる日差しを遮る暑さ対策になる、という言葉がある文献もありました。
ただ教義だから、というだけでなく現実的にもその方が日差しが避けられるということでもあるみたいですね

有名な「ジハード」とは

ジハードというのは、元々はコーランにあった教義のひとつで、「(神の道のために)奮闘努力すること」を指しています。この「奮闘努力」という言葉に相当するアラビア語に、「戦争」の意味は含まれていません。
要するに、信仰のために、断食を頑張るとか、礼拝を仕事で疲れているけど頑張るとか、そういう個人的な意味しか最初は持ちませんでした。
しかしそれがコーランにて「ジハードは異教徒との戦いをもさす」という言葉があることから、それを拡大解釈して「異教徒は殺してもいい、ジハードのためなんだから!」という人たちが過激派と言われる人たちのことです。

何故入信するのか?

そのように信仰上礼拝の回数が多かったり、ハラールというイスラム教の教義にのっとった処理の仕方をしているものしか食べてはいけないなどの制約があったりするのに、何故イスラム教徒が増えているのか?とどなたも不思議に思うと思います。
実際、私の友人の友人が、イスラム教徒の方と結婚し改宗してイスラム教徒になったのですが、その人からの話も含め、「ムスリムというイスラーム共同体の一体感が良い」ということのようです。
ムスリムだとわかれば知らない人同士でも仲良くなりますし、礼拝も私たちからしたら大変そうだな、と思いますが、ムスリムの方からしたら「皆と一緒に礼拝をするのは楽しいよ」ということなんですって。
確かに核家族化、どんどん孤独が深まっていく現代において、イスラム教は逆に、モスクに行くだけで仲間がいて、悩みがあったら相談できる人(仏教でいう僧侶のような役割の人がいます)もいて、ムスリム全体で一緒に断食、礼拝と行動をすることが、自分は一人ではないという幸福感へつながっているようです

何故イスラム系過激派が多いのか?

実際はイスラム教の過激派が多い、という訳ではなくて、信者が16億人もいますから、そのうち過激な思想に走る人がどうしても発生してしまう、というのが実情のようです。
そしてまた、ジハードの解釈についても過激な思想に走るきっかけになるのかもしれません
また、イスラム教は最近世界でとても信者を増やしています。そのため、他の主要宗教と比較して若い人が多いのも、その理由の一つの可能性があります
(2010年時点で非イスラム教徒の世界の年齢中央値が30歳であるのに対し、イスラム教徒の年齢中央値は7歳も若い23歳となっています
https://www.huffingtonpost.jp/kanta-hara/islam-population_b_11670906.htmlより)
そして2大勢力のキリスト教にも、やはり人が多い分過激派はいます。しかし何故目立たないかというと、何かとんでもない行動を起こすと、バチカンの教皇様、正教会、プロテスタントなど自分が所属しているキリスト教会から破門されたたき出されるために、実際にはれほど大きな勢力を持てないというのが実情のようです。
そういう意味では、イスラム教は預言者はこれ以降現れない、という教義を皆さん信じている為、キリスト教のように上からまとめる人がいないから、そういう過激な行動に走る人が集まって何かをしてしまうことがあるのかもしれません
逆にとらえれば、ある意味イスラーム共同体ではみんなが平等であるあということなんだと思います

もし心に響いたならば……投げ銭のひとつやふたつやみっつやよっつ!!よろしくお願い致す!(笑)