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ルパン三世 PART5 少女アミ


「男ってのはな、敵が必要なのさ。超えるべき敵、許せない敵。ライバル。友人。親、女。」


現代版ハードボイルドは、いわゆるハードボイルドと違って、戦う相手、敵の存在が不透明な現代において、心の問題に置き換えて語られている

明確な敵、圧倒的な悪や悪役を描き切れない、戦争や冷戦時代と違って悪が見えにくい、リアリティを持って対立しにくい時代。

民主主義という名の下に家畜のように飼い慣らされてしまった時代では、大きな敵が見えない代わりに、小さな敵が人生のありとあらゆる所に現れる。敵がいることには変わりない。


女性も男性と同じように社会で働き、働かないと生きていけない現代では、男も女も生きて行く条件があまり変わらない。ただ敵を作るか、敵と戦うか否かが違う。

その時不二子の生き方は、ルパンの美学が多くの男性を勇気づけたように、社会で働く多くの女性にヒントを与えてくれると思う。あくまでもヒントだけどね(笑)


「敵がはっきり見えないと、まとまるものもまとまらないか」

パート5が味わい深いのは、「敵」に対する考察も練られていること。脚本家がバトルものをずっと書いて来たのもあるだろう。

ルパン三世という作品において、敵が何を意味するのか、ルパンたちの人間関係だけでなく実は一番大事な「ルパンにとって敵とは」という問いを、登場人物の台詞からも考察しているのがわかる。


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アミはただルパンに助けられるヒロインではなくて、彼女の問いかけによって登場人物たちの性格を観客に知らしめる、巫女的な役割をさせているのが面白い。


五右衛門が「痛むのか?」と聞けば「心配してくれてるの?」と五右衛門のやさしさを導き出す。

いってらっしゃいの挨拶を「これ必要?」と銭形に問いかけることで、父親のようにアミに日常を与える銭形の父性を再確認させる。

ルパンに対しては不二子のことを、不二子に対してはルパンのことを
大人たちが被っている仮面の裏をダイレクトに突きつける。


それはずっとコミュニケーション不足で、発達障害のようなアミだからこそ出来る役回り。ヒロインなのに鬼太郎のようなヘアで、いつも片目しか見せない隻眼スタイルは、異形の者としてデザインされている。

その卓越したIT技術は、大人たちからすれば異次元の世界。もはや魔法。

まるで呪文のようなソースコードでシステムをハックし、「開けごま!」と言わんばかりに鉄壁の扉を開かせる。

大衆が盲目的に従うシステムやネットワークを手玉に取り、人々の願いを叶えるツールやトリックを構築する。

見えないネットワークを駆使しやすやすとシステムに侵入し、目的地に辿り着く。

特別な能力を持つ、現代版魔法少女。



最後にルパンが仮面を脱いだのは、次元のアドバイスだけではなくて、アミという大人の都合がわからない、嘘が通じない子供のような相手を側に置いたことで生まれた、心境の変化もあるのかなと思う。


それはクラリスによって初恋のような純真さを見せたルパンとよく似ている。悪党であればあるほど、その対極に位置する少女の純粋さ、率直さに突き刺さるものがあるのかもしれない。

現代版クラリスは、「ネット姫様」

クラリスのように可憐ではないけれど、魔法使いのような特殊能力を持つ。修道院や地下、俗世から隔離された異界からやって来て、大人たちに利用されながら、その純粋さで大人たちを動かし、魔法をかける。狂った世界を破壊し、正常さを取り戻した世界で自分の居場所を見つけて行く。


キャラデザを見れば製作者がどこに重点を置いているのか一目でわかる(笑)
アミはキャラデザもファッションも完璧だった。デザイン崩れや違和感のない数少ない登場人物。クリエイターが描きなれている最近のアニメ絵だというのもあるだろう。

アミのあの完璧な制服姿、私服姿、妖精のように小さくて華奢な体。まるでどこかで見たことがあるようなデジャブ。現実に存在していそうな、どこかに居そうと思わせるほどのキャラデザは、キャラデザとして100点満点、クリエイター冥利に尽きるはず。

見事にキャラの性質を具現化したファッションや身体性、表情が、もう少し不二子にあればと思ったもの。


ちなみに、私は五右衛門が原作や1stで片目をつぶる表情がすごく好きなのだけれど、なぜかなと思ったらアミのような能力者っぽく見えるからかもしれない。

そしてアミと五右衛門は浮世離れした感性や現世利益への執着のなさがよく似てて、キャラ被りするというかお互い相通じるものがかなりありそうな気がしている。

この世とあの世を繋ぐ者。死にたがっている魂をあの世へ送る死神のような五右衛門と、リアルとネットを股にかけ魔法を繰り出すアミ。

共に境界に生きる異形の者として、ルパンたちの世界に異次元のミラクルを放り込んでくれる。


己の欲望にとことん正直に生きる男女をメインにしながら、五右衛門やアミのような俗世と距離を置くキャラを、対照的に配置するのがルパン三世の面白い所。そういうキャラを置くことで、ルパンの持つ毒気を中和させている気もする。清涼剤のような役目を果たしている。

とっつあんもどちらかというとこちら側で、ルパンや不二子、敵キャラのような貪欲に生きる者たちをエンジンに物語を引っ張りながら、五右衛門やとっつあんのような禁欲的なキャラも要所に配置させ、ブレーキをかけている。

ルパン三世にクライムムービー独特の嫌味や暗さ、醜悪さがないのは、エンジンとブレーキのバランスのよさ、運転の上手さもあるのかもしれない。



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