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ルパン三世 「カリオストロの城」Ⅱ 恋したルパン

カリオストロ伯爵に勝てなかったのにこの映画が最後爽快感に溢れているのは、元々ルパンはクラリスのことしか考えておらず、勝負することが目的じゃないから。

クラリスを救えれば、伯爵に負けようが、城が湖に沈もうが、カリオストロの宝が持ち運べない遺跡だろうが、後はどうでもいいわけで、最初から最後までお姫様奪還作戦で貫かれている。

10年前に撤退してそのリベンジで城に向かったのに、結局また負けたのに、頭の中は白衣の少女のことしかないから、ルパンにとってお宝はカリオストロの財宝ではなく花嫁のクラリス。

なので最後クラリスというお宝を手にし、彼女の心も奪ったことでミッションコンプリート。ある意味最後のクラリスの告白は結婚と同じ。


お宝=クラリスを持ち帰れなかったのは心底悔しいはずだし、後日談でルパンとクラリスの結婚が出て来るのも、クラリスと別れた後のあの沈痛な表情から伺える。

いつものルパンならお宝は本妻の(笑)不二子だから、少女を助けても快活に去っていく。悲しみに襲われることはない。


クラリスに心を奪われたルパンは、伯爵だけでなくクラリスにも負けている。

宮崎ルパンは惨敗続き。何にも勝ってないし、何にも得ていない。
不二子との愛もないし、カジノに盗みに入れば偽札を引いてしまう。

中年ルパンのわびしさが結構切実で、それがクラリスとの別れの顔にもよく現れている。

小さな車に荷物を積み込んで、男二人で盗みを働きながら放浪する姿は、まるでジプシーのよう。人生の成功者ではなく敗者のようなルパン・・・。


オリジナルのルパンのお宝は不二子。ルパン自身が「俺の宝」と言い、アニメでもお宝ゲットのご褒美が不二子の愛なのだから、お宝=不二子でもある。その不二子が気に食わなかったので、宮崎ルパンのお宝はクラリスになったのだろう。

不二子のため、お宝を獲得するために敵と戦う。敵を、ライバルを倒してこそお宝を、女を得られるもの。オリジナルからのポリシーには正当な原則がある。

ルパンがどんなに極悪非道なことをやっても、この原理原則があるからこそ許される。


ところが宮崎ルパンにはその正当性がない。伯爵に負けたのにお宝を獲得している。お宝を得るだけの知力や技、すべてを含む力で敵に敵わなかったのに、ただその勇気だけでお宝を得ている。

これが宮崎ルパンの幼さであり、ある種の平和主義であり、現代のアニメ作品で「何も努力しなくても才能に恵まれモテてしまう都合のいい主人公」が量産される走りであると思う。

ルパン作品でいまだに無意味にヒロインが登場する原因でもある。


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セピア色の思い出。こういう演出が憎いほどうまい。記憶に残る名シーン、名アングルの連続。


「カリオストロの城」は、当時は「宇宙戦艦ヤマト」などの人気作品に圧され、興行的にも失敗し評価も散々で、今のような人気を得るのは平成になってから。でも当時人気が出なかったのは聴衆の理解のなさだけではないと思う。

当時はルパン作品でも「複製人間」のような重厚な映画が作られていたし、「宇宙戦艦ヤマト」も組織や社会における若者の苦悩が描かれている。スポ根アニメもまだ健在だった時代。

対価なき報酬を得る作品が通用する程、世間の目は甘くはなかった。



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