見出し画像

孤児院でのボランティア活動

ラパス市内の大学院に通っていた時、週に一回、個人的に孤児院でボランティアをしていた。

図書館に缶詰めの日々に、少しでも彩りが無いと生きていけないから子どもたちから元気をもらっていたのだ。


子どもたちはとても可愛かった。
0才~5才までの男女、6才~18歳までの女子がこの孤児院で生活していた。

孤児院の外壁には赤ちゃんポストのような小さな回転扉が設置されていて、ときどきそこに赤ちゃんが置き去られていたり、
あるいは公園や教会に捨てられていた赤ちゃんが保護されてきたり。
DVや人身売買の果てに保護された子どももいた。

日本にも、そのような子どもたちが生活している施設があると聞いたことはあるけれど実際に行く機会は私にはなかった。

だから、むやみに「ボリビアの孤児院は~」と語れない。
日本も同じだよ、と言われてしまうから。

それでもあえて、ボリビアの孤児院は~、と語るならば、
私が一番印象に残っているのは養子制度である。

はじめてこの孤児院を訪問した時、
3才~5才の子どもたちがお昼ご飯を食べていた。

子どもたちは私を見るやいなや、
「誰のママになるの?」と尋ねてきた。
私は耳を疑った。

でも、そうなのだ。
この子たちにとって母親も父親も、
ある日どこからともなくやってくる外国人だったのだ。

この日、デンマークから来たという夫婦がいた。
ボランティアではなく、養子を引き受けに来たのだという。

他に、ヨーロッパ方面から大学生が来ていた。
大学生たちもボランティアのようなことをしてはいたけれど、
彼女たちはボランティアに来たのではなかった。

彼女たちは、この孤児院からヨーロッパへ養子に行って大人になった今、
生まれ故郷を知るために、ここを訪れているのだった。

孤児院の壁には、たくさん写真が飾ってあった。
養子に行った先から、成長の記録の写真が送られてきたものだった。

私は誰のママにもならなくてゴメンね、と思いつつ、養子制度についてうかがった。

ボリビア国内で養子縁組する場合は申請から3年、
国際養子縁組の場合は5年ほど、審査期間が設けられていて、
子を引き取って育てるだけの資質があるかが調査されるのだという。

こういうの臓器移植目的の人身売買とかに利用されちゃったりしないの?と素朴な疑問をなげかけると、
「だれが5年も待ってそんな悪いことするのよ!」と怒られた。


ここから先は

46字

¥ 500

よろしければサポートお願いいたします。