ライブ/米津玄師「空想」/身勝手な救済

2023/06/15、米津玄師のツアーライブ「空想」inさいたまスーパーアリーナに行ってきた。※ツアーネタバレ、楽曲の個人解釈を含みます。

四曲目にviviを歌われたせいで頽れて泣いた。
心の第一声は「聞いてねえよ」だったし、全然そんな歌ではないのに
「今こんなに近くにいるのにきっとあなたに『愛しています』と言うことは生涯ないんだろうな」
と考えた瞬間号泣してしまった。序盤に泣くと思ってなかったしそんな準備もしてない。

私がオタクであるときにことごとく胸に刻んでいるのは「推しと双方向性を持たないこと」である。認知されたくないし、ファンの言動が推しを左右するなんてこと、実際仕方がないときもあるが、原則、あってはならない。
だって、推しって他人ですもの。
そりゃあそうだ。結局自分以外みんな他人だし。だけど、ただの他人じゃあない。「推し」から見たら私たちはファンの群れなのだ。単位が違う。同じステージに立ちたくないし、立てない。ひとりのにんげんとしてカウントされてはいけない。個体認識されず「ファン」という括りから外れない、それでいいしそれが正しい。他人だし、他人以下なのだ。
そして、他人である彼ら彼女らに自分の生き甲斐を持ち、支え、貢ぎ、狂い、あまつさえ本人にそれをわかってもらおうとすることを、私はひどくグロテスクだと思っている。
否定ではない。わたしがそれをしたくないだけ。狂ってしまった自分を罪深く思いながら息を殺している。ファンという群衆に紛れてゆらゆらと応援の念を送る。一方通行はさびしいけれど、わたしは勝手に救われて勝手に好きになっているだけだから、そのさびしさも推しを推す醍醐味だと思って噛み締めている。

だから、
目の前にいて。歌っていて。肉声が聞こえて。
こんなに近くにいるのに決して目は合わないことを実感したわたしの心に、

「愛してるよビビ 明日になれば
バイバイしなくちゃ いけない僕だ」
「さよならだけが 僕らの愛だ」

こいつらはちょっと攻撃力が高すぎた。

ああ今日だけなんだと思いました。一方的に救われたわたしが、ファンという波に紛れて、音楽を共にできる夜は本当に夢のようだと思った。
「ライブっていうのは『ゆめじゃないよ』ってゆう夢を見る場所なんですね」というのは本当によく言ったもので、空想が夢であることを、夢は覚めることを、きっと私が一番わかっていたのだ。

「子供の頃から、自分は内向的で、内にこもってこもって生きてきた分ずっと空想が隣にあった」「でも曲を作り、それが聞かれるようになって、それではだめだと。空想ではなくて、現実を生きないといけないと。突っ走って転がって、今日ここに立っている感覚」

「『ありのまま』って言葉がすごくポジティブな意味で使われがちだけど、『ありのままでいいんだよ』というのは、ありのままでいることを許された強い者の言葉だと思っている ありのままでいることをやめたから俺はここにいる」
「だから言いたい この会場に昔のおれみたいなやつがいたら 大丈夫だよって 俺の背中を見ろなんて言えるようなもんじゃないけど、俺を支えにしてほしい こんなんでも大丈夫だよって」
「人生、いいもんですよ」

居心地のよい静けさのなかでわらった彼の目があまりにもきれいな三日月だった。なにも言えないままに会場は揺らめいていた。
いったいその言葉で、いまここにいる人間をどれだけ救ったんだろうと、わたし自身、じくじくとこころを救われながら、おもった。

私は彼のことばに生かされ、それはもう常備薬のようにインタビューやらエッセイやらを繰り返し繰り返し読むのですが、一番好きな記事があります。REISSUE RECORDSのDIARYより、『隙間』

「わたしは今まで自分が作った音楽を通してたくさんの人から言葉をもらった。良いも悪いも珠玉も怨嗟も色とりどりで、それによって今の自分があり、そのすべてに感謝の気持ちがある。しかしその奥のほうには、何一つ言葉を持たないやつがいることをわたしは知っている。「僕は苦しいです」「あなたが好きです」と表明するだけの言葉すら持つことを許されていない人間がいることを知っている。今はそういうやつにこそ音楽を届けたい。きっと大丈夫だと言ってやりたい。世の中そんな大したもんじゃないと教えてやりたい。わたしだってここまでこれたもの。静かな隙間で音楽を聴いていた記憶が今なお自分を定義づけている。音楽がきっと許してくれる。大丈夫、大丈夫、大丈夫。」


人に届く言葉を持たない人の存在を知っているのは、昔の彼がまさしくそうであったからだろう。2017年、深夜の曖昧な優しさがしとやかに眠る言葉でわたしは息をしてきたのに、この大きな大きな場所で、大勢のひとにおなじやさしさを配る彼を目前にして、冷静であることがどうしてできようか。

「大丈夫」って、ここで言えるようになったんですね。
それがうれしくてうれしくて、雫になってあふれてどうしようもなかった。あなたがあの夜届けたかったことばが膨らんで、何万人を包むように響いている。おまじないのように夜つぶやかれていた言葉が、一体何人に届いたのか可視化すらできないそれが、同じ温度のままに、今、肉声でわたしまで伸びている。直接触れられたしあわせを、一体どうやって言葉にしよう。
ゆめでもいいよと思った。大多数に紛れて勝手に救われていながら、わたしはあなたがあなたのままでいることの幸福を、あなたが伝えたいことばが届くことの救済を、願わずにいられないのだ。

かれの「音楽はつづく」という言葉が私はすごく好きでした。かれの、ツアーが終わった後の、「また会いましょう」というTwitterの言葉も好きでした。それらは事実や意志であると同時に、祈りでもあるのだと思う。彼の活動を意味するようでもあるし、音楽という普遍的な営みのようでもある。

アンコール含めライブの最後を締めたのは新曲『LADY』だった。甘さと軽やかさが同居する曲は、親愛なる人との日常の尊さを歌ったものだ。

当時正確な情報は未公開だった新曲「月を見ていた」を除く一番ホットな曲は紛うことなくそれだったわけで、新曲をラストに持ってくるところ、そういうところ!となってしまうのは正直いつものことである。好きです。

ところで、LADYにこんな歌詞がある。

「何も謎めいてない 今日は昨日の続き
 日々は続く ただぼんやり」
「考えた矢先に 泣けてしまうくらい
 日々は続く 一層確かに」

Lemon→Flaming然り、Pale Blue→POP SONG然り、曲の温度差激しいよねずけんしは巷で有名だと勝手に思っているのですが、KICK BACK→LADYはその中でも群を抜いた急転回である。彼自身、LADY公開の際のインタビューで「ここ最近の曲がシリアスに偏っていたため、バランスを取るための曲が必要だった」と話しており、ゆるりとした日常の倦怠感を昇華する曲として位置づけられている。

だからこそこの曲は、アンコールに必要だったんだとわたしは思いました。
非日常から日常への回帰。ライブという夢から、空想という世界から、下車するエスカレーター。
「音楽はつづく」し、「日々は続く」し、彼が「また会いましょう」と言ってくれるならきっとまた会えるのでしょう。彼はまた曲を書くし、ライブをやるけれど、そうでなくてもよかった。これは遠距離恋愛をしていると本当に染みることなんですが、「会える」という事実より「会いたい」という意志の方が嬉しかったりするんだ。また会う未来の話をしてくれるだけで、仮にそれが実現しなくてもどこかで会えると知ってる。また会ういつかまでの日常を辿るなかに、ふくよかに息をする音楽と日々が愛しく根付いている。

ああ、だから、だからわたし、ライブが終わっても、これっぽちも寂しくなかったんだ。
また静かに延命されたことを、嚙み締めるように悟った。
一夜限りの夢を乗せた埼玉スーパーアリーナのまばゆさは、星の線路を走り抜け、目覚める朝にすら寄り添うようにどこかやさしく灯っていた。

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