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3.11 ドイツの寒空に立ち尽くし、号泣して思ったこと

3.11の時、私は夫の仕事の関係でドイツのデュッセルドルフという街に住んでいた。毎日ニュースで見る祖国のあまりにも変わり果てた姿に、ただただ涙しか出なかった。

茫然としながら数日過ごす間に、ドイツ人の友人から「デュッセルドルフの日本人コミュニティ主催の救援活動はないの? もしあれば是非協力したいわ」と言われ、自分自身も含め、何も行動を起こしていない日本人社会に気づいた。

そんな時、別のドイツ人の友人に「週末に、日本への募金を募る活動があるから一緒に行かない?」と誘ってもらい、震災の翌週末に家族で参加した。

そこはケーニッヒアレーという、シャンゼリゼをちっちゃくしたような街一番のブランドショップが立ち並ぶ通りで、私が目にしたのは、キャンドルトーチを持って何キロにも渡って列を作り、日本への祈りを捧げる人々の姿だった。

それを見た途端、私の涙腺は文字通り崩壊した。そのトーチは1本3ユーロで売られていて、その収益金がドイツ赤十字社を通して日本に送られる仕組みだった。

人々は募金するだけではなく、その太いトーチが消えるまでの30分以上をドイツの寒空のもとに立ち尽くし、日本のための祈りを捧げていたのだった。

残念なことに、そこに日本人の姿はあまりなかったように思う。韓国人や中国人の参加者はちらほらいたのだが、肝心の日本人がいない。

そんな中、バギーに娘を乗せて参加している私たち家族は、ドイツのテレビ局の取材を受けた。私は、涙でぐしゃぐしゃになりながら、拙いドイツ語でお礼の言葉を言うことしか出来なかった。

私は寒空で号泣しながら、人々が誰かのために無心で立ち上がる強さ、尊さに感動し、与えてもらったものをいつか返せる、そんな人間になりたいと強く心に誓ったのだった。

特筆すべきは、その募金活動を始めたのが、この写真のドイツのギムナジウム(高校)の生徒たちだったということだろう。彼らの手には、Pray for Japan(日本のために祈ろう)のフライヤーが握られている。


ギムナジウムの生徒

震災からたった1週間で、高校生たちがドイツ赤十字社と連携して、これだけの人を集める募金活動をしたのだから驚きだ。

対して、私を含む日本人の対応は遅かった。デュッセルドルフには日本人クラブがあったのだが、そのクラブが被災地支援の活動を開始したのは震災からなんと1ヶ月も経った頃で、活動内容は「千羽鶴を折って日本に贈ろう!」だった。

私もクラブに千羽鶴を折りに行ったし、その活動自体を否定するつもりはないが、1週後の現金と、1ヶ月後の千羽鶴、どちらが被災地の役に立つか考えて欲しい。

こうして私は、日独の非常時の対応の違いを、まざまざと見せつけられたのだった。
非常時に政府の指示を待つまでもなく、誰もが立ち上がってすぐに行動を起こすドイツに対し、日本は政府からトップダウンの指示を待たなければ、1ミリたりとも物事が動かない。

それから日本人は、海外でも日本人同士で過ごすことを好む人が多く、現地人との密接な関係が希薄なために、いざ有事の際にも情報が入りにくい。
このことは、この支援チャリティに日本人が参加していなかったという事実からも、身をもって感じたのだった。

私はドイツ人の友人が居たおかげですぐに行動することが出来たのだが、特に今回のコロナ禍のような時には、瞬時に情報に触れられるかどうかが、生死を分ける時もある。この時、海外では日本人以外の人たちとの繋がりも、とても大切だということも学んだ。

こうした背景もあり、私は今回のデジタル署名を始めるにあたって、自分にこう問いを投げかけた。

困っている現状に対して、今、自分に何が出来るのか?         

すると、私には行動を起こす勇気と、海外の友人たちと培ってきた繋がりがあるのだから、それを生かせばいいのだと答えが出てきたのだった。

たった一人で一歩を踏み出すことは、なかなかに怖いことでもあるけれど、自分の中に熱くうごめくエネルギーが湧いてきたら、もう突き進むしかないじゃないか!と、あの時の自分が言っているみたいだった。


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