悟りについて❸

こんにちはー♪

前回は本当に分かりづらい内容だったと思います。
ざっくりお話すると、我々は幻想の世界に遊びに来ているということです。
詳しくは前回のブログをご覧くださいね。

では、今日はこのシステムによって我々がどのように個人の世界観を作っているのかというお話をしますね。
今回も本当に分かりづらい内容です!笑

まず、我々には概念というものがあります。
この概念というものは、辞書で引くと、同類のものに対していだく意味内容とあります。
この概念という言葉の使われ方として、日本人の概念とか言ったりしますよね。
つまり、日本人の概念といえば、日本人が共通して持っている認識と言えます。

この概念というものが、前回お話しした「2次元上における鏡の様なもの」です。
鏡に映る自己に変化を加え、映し出されたものは、元の姿と違えども、ほとんど一緒のものです。
あなたが鏡に映し出されたあなたの姿を切り取って、様々なポーズをとり、それを複数コレクションしたとしても、あなたであることに違いはありませんよね。
そして、この鏡の構造というものは、フラクタルの構造を持っています。フラクタルについては検索してみてください。
幾何学模様と次元構造を結びつけることは少々難しいですが、2次元上で完成されている鏡が連続性をもち、フラクタル図形の様になっているとでも言っておきましょう。
そして、3次元上で変化とタイムラインが同時に構成されフラクタルは図形化不可能となります。

我々の肉体というものは、この3次元上をうごめくフラクタルの一部であり、実際は肉体の周りの空気や大地と大差ありません。
物質界において、誰もが自分を自分と判断できているものこそ「人類の概念」であり、真理の世界では、ただ形のないフラクタル図形がうごめいているだけの世界です。
そして、0次元において「ただ有る」だけの存在としての自己が、我々人類一人一人に存在し、この肉体こそが自分だ!という様に、思い込んでいるという事です。
視点を変えると、今この文章をパソコンで打っている僕は、0次元上において「ただ有る」だけの存在の自己そのもので、僕が見ている景色や、僕以外の人は、本当は存在すらしていないと言っても過言ではありません。
それでも、同じタイムライン上に僕以外の人は存在するし、今ここにお客さんがいたら、その人は確実に存在しますよね。
ただ、ここで考えて欲しいことが一つ、それは、真理の世界では時間すらも概念で有るということ。

今ここに僕が存在していると思えるのは、タイムラインと位置情報というデータ上に存在していると仮定できるに過ぎません。
そして、ここに僕以外の誰かがいたら、その人は0次元上において、タイムラインと位置情報がたまたま一緒の場所にいる肉体を確認しているだけで、実際はその人は僕自身であり、2次元上における鏡そのものなのです。
これが、真理の世界であり、我々は人類目線の共通認識で有る概念の上で、我々が個々の肉体を持って存在しているという思い込みを持って今ここに有るという事です。

もう頭がごちゃごちゃですよね。笑
ついてくる必要はないので、ただ興味を持っていただければ幸いです。

それでは続きを・・・

概念とは共通の思い込みであり、それこそが我々が個々に存在させています。
そして、人類の概念の中で個々の存在で有るという思い込みが、より個々の存在で有る様に個性を作ります。
それが、個々の世界観です。
個々の世界観というものは、生まれてから今に至るまで、自分の外側に起こる事象に対して自分がどう対処するかによって決めていく自分の中の概念です。ここでは分かりやすく、それを観念と呼びましょう。
この観念というものがまさしく自分は個性を持った独立した存在だという認識を生みます。
そして、概念は共通の世界観であり、観念は個々の世界観であり、共通した観念が常識を生み出し、さらにそれが大規模で共通した観念が生まれると、それが概念となります。

宇宙を構成する万物の概念が「因果」です。
万物には原因があって結果があるという、時間軸視点の概念を持っているのです。
諸行無常とは、万物は常に変化しているという意味です。それは、まさしく万物が因果によって常に変化し続けているということを表しています。
人は、それぞれの人生において、外的要因と思われた原因によって個性という結果を表します。
しかし、真理の世界では外的要因という言葉は通用しません。
外に観る景色(関係性)は常に自分が映し出しているものなのです。

ちょっと中途半端な終わり方ですが、本日はここで終わります。
最後までご覧いただきありがとうございました。

次回は、個々が映し出した世界観の共通性から何が生まれるかについてお話したいと思います。

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