「ろう者の祈り」とは何か

「ろう者の祈り」という本を読んだ。最近出版されたものだ。

筆者は、朝日新聞の編集委員中嶋隆さん。彼が、新潟のNPOにいまーるの臼井千恵さんと、手話通訳士で日本語教師の鈴木隆子さんを中心に取材して執筆した本。

さて、この本の主題は

ろう者は日本語が第二言語なので、ばかにしてはいけない

に集訳される。

ろう者コミュニティの話も出てこないし、手話を公用語にしたエンパワメントの話も出てこない。ただ、日本語を改めて学び、なんとかマジョリティである聴者社会でやっていきたいという「聴覚障害者」のエピソードが書いてある本だ。

私の感想といえば、まずは「ろう者」という名称には特別な意味があるはずだ。だから「ろう者」を用いるのであれば、もっと「ろう者」や「ろう文化」について掘り下げて欲しかった。それから、「ろう者」が日本語を苦手とするという言語の問題について取り上げているのであれば、もっと言語の問題に踏み込んで欲しかった。たとえば、遠回しな言い方が通じないのは日本語と日本手話の違いだけに収束していいのか? という問題がある。私はろう者の大半が親が聴者であり、第一言語習得が遅れるという育ち方の問題が大きいと思う。そして、手話を使った社会参加の仕方も、最後のほうにちらっと書いてあるだけで、多くの部分は日本語を歯を食いしばってがんばる。それには、聴者の手話通訳士で日本語教師の鈴木隆子さんがすごくがんばっている。という風にしか書いていない。

鈴木さんはがんばっているのだろう。私には、その正義を否定する気はないし権利もない。しかし、鈴木さんは1人しかいない。どうも、彼女を正義のヒーローに仕立てている本に見えてしまうのは、彼女の経歴(しかも家族の歴史)にやたら紙面を割き(別に彼女の祖父母の出自など正直、本筋にはまるで関係ない気がする…)、それが美談に仕立てられているからなのだろうか。

オリバー・サックスの「手話の世界へ」という本がある。サックスは有名な著者で神経医学者。映画化された「レナードの朝」の主人公の医者は彼自身がモデルである。彼が手話関係者に取材して1989年に書き上げた本である。原題は"Seeing voices"。ベストセラーとなった「妻と帽子を間違えた男」の2年後に出版されている。

オリバー・サックス「手話の世界へ 」晶文社(1996年 佐野正信訳)
 https://www.amazon.co.jp/dp/4794925255

この本は、ろう者たちがどのような人々であり、手話というのはなぜ「言語」なのかについてとても冷静に、しかしそれがいかにおもしろいことなのかについて知的好奇心をくすぐる(あるいは煽る)形で編まれている。

もちろん、筆者に世界的著者のオリバー・サックスを目指せなんて言えない。でも、私はやっぱり、これをまず読んで欲しいと人々に宣伝するだろう。なによりもまず、「ろう者ってこんなに私たちと違うんだ。手話ってこんなにおもしろいのか!」とわかるからだ。

著者の「ろう者の祈り」を届けたい相手は、おそらくろう者のことを知らなかった人たちだ。新聞連載もしていたようだから、年配の仕事人のおじさんたちがターゲットということになるのだろうか(私の新聞の読者イメージによる)。私にはそのように受け取れた。私が読み取ったメッセージは以下のようである。

こんな人たちがいるのだ。アナタの職場にいたとして、アナタは冷遇していないだろうか。彼らはこんな風に困っているのだ。努力もしているのだ。でもアナタ方が無理解だから、転職率も高い。だからもっと理解し、気を遣ってやって欲しい。

なにがしかのお仕着せを感じる。ろう者が困っているのはその通りだ。でも、そこにはマイナスしかないような気がする。努力をする人は美しいか。わざわざ読んで共感する人はどれほどいるのだろうか。自分の問題として消化できるだろうか。そして巻末についていた手話講座、アレを見て「手話って面白いね」って思うだろうか……。私はあんな子供だましの(あるいはおじさんが好きそうなだじゃれの)手話を見ただけでは、手話に興味を持てなかったろうなと思う。なんだか馬鹿にされているみたいだ。

ろう者の、あるいは聴覚障害者の不遇をどうしたらよいかというのは、いまだに議論のある、答えのない問いかもしれない。実は、ろう文化や手話のことをなんとなく知ったくらいで、差別はなくならない。ろう者の離職率が身体障害者のなかで比べても高いというのもたぶん変えることはできないだろう。コミュニケーションがうまくできない相手に対して、さあどうするか。気持ちを変えればいいのか? 違う。たぶんシステムの問題だ。

もう一冊、面白い本を紹介しよう。

ホーキング青山(2017)「考える障害者」新潮社https://www.amazon.co.jp/dp/4106107465/

障害者問題に対して、普通の人たちがどんな態度を取っていて、どんな問題があるのか。著者のホーキング青山さんは、お笑い芸人で身体障害者だ。彼は答えを出さない。でも、視野を広げてくれる。「ろう者の祈り」で物足りなければ、オリバー・サックスの「手話の世界へ」とこの本をおすすめしたい。

#読書 #手話 #ろう者

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rhetorico

Rのポスドク手話/言語学研究者。3歳児の連れ。こちらには長めの文章を書いたものをとりあえず集めておきます。

日がな一日言語学

認知言語学者の日常的ことば遊び場的ななにか

コメント1件

以前、ノーラ・E・グロースさんの「みんなが手話で話した島」を読みました。rhetoricoさんご紹介の本も読んでみます。
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