「どっちかというとキロロみたいだよ」

柴咲コウが礼文島出身だという話が流れていて、ウニといくらをたらふく食べた利尻・礼文を旅したときのことを思い出しながら「あんなに小さな辺境の島にあんな美人が……さぞかし礼文島は美人が多いのだろうな」ととっさに思った。

何か忘れてないか? 私。

――「いや、どっちかというとキロロみたいだよ」

覚えているだろうか、沖縄出身の2人組の歌手を。素朴でどこにでもいそうな女子2人組を。

私が思い出したのは、大学時代、沖縄出身の友人Yさんが上原多香子と出身校が同じだという話を聞いたときに、誰かが「うわ~さすが沖縄、みんなあんな美人なの?」と言ったのだ。折しも、安室奈美恵や仲間由紀恵、SPEEDなど沖縄出身のタレントや歌手が目立った時期でもあった。さてYさんの答えが先の「いや、どっちかというとキロロみたいだよ」だったのであった。

きっと、礼文島の人に質問しても似たような答えが返ってくるであろう。(今だったら誰みたいっていうんだろう?)

この話と、あの話は似ていると思ったのだ。つまり、自閉症の人はみんなサヴァン症候群で天才的に絵がうまかったり、レインマンのレイモンドみたいに数字に強かったりするんじゃないかって話とか、知的障害の人はみんな心がピュアだとか、肢体不自由の人はみんな乙武さんみたいに弁が立つとか……(む、乙武さんについては、そう思ってる人は少ない?)

落ち着いて考えれば、私が通った中高の先輩に能町みね子さんがいる(実話)からと言って、私含め卒業生みんながトランスジェンダーのわけないし、それを質問する人はいないのだが、人間、一つの例をみると、同じ属性を持つ周りもそうなのでは? となんとなく思ってしまうサガがあるらしい。

これ、実例でもそうなんだけどフィクションで作られているイメージでも似たような思考の癖を発動するらしい。たとえば、私が関わりの多い聴覚障害者のイメージといえば、我々の世代より上の人は、オレンジデイズの柴咲コウとか、星の金貨の酒井法子みたいな、薄幸の美人とか、「愛していると言ってくれ」の豊川悦司みたいな……イメージ……の人に会ったことない。

なんというかみんな、「どっちかというと、キロロみたいだよ」。うん。名言すぎる。Yさーん。

若かりしトヨエツが演じた、イケメン、芸術家、繊細、といった感じの「ろう者」に会ってみたいものだ。(笑)

まあ、あれがイメージだとしても、それでも、手話を勉強し始めるきっかけになったという人が結構いたりするのだから、(そのころ手話通訳の勉強を始めた人に優秀な人が多い)人間の持つ思考の癖はあなどってはいけないな、とも思う。

なにはともあれ、思考の癖、ひとつの例を見ると、その同じ属性を持つ人は別の属性も持ってるんじゃないかと思ってしまう、というのは、自分から遠い、よく知らないマイノリティコミュニティに対しての方が強く働くような気がする。気をつけたいものである。


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