Fragmented log #2 (2/23) simplicity

ロンドンは、寒さがぶり返してきました。皆さん、お変わりありませんか?

1月中、ずっと取り組んでいたアートの授業の展覧会の成績が返ってきたのですが、「Each object in the exhibition has its itinerary」という先生からのコメントが最大の賛辞でした。ひとはどこまでいっても孤独なのではないかという、ある意味での私のかなしみから生まれた展覧会だった気がするのですが、そのかなしみから目をそむけずに徹底的に向き合うことで、ゴッホや宮沢賢治がいうような、私なりの過透明なかなしみになったのだと思います。

最近、去年はできなくて、悔しくて凹んだことがほとんどできている気がします。それは、アートの授業で言うと点数なんて関係なくなるほど愚かにこだわりを持って頑張り続けることであったり、日々の生活にこだわりを持つことだったり、人を自分から誘うことだったりします。やっぱり、私はとにかく考えるのにも何かを成し遂げるにも物凄く、もう本当に信じられないぐらい時間がかかることに気づきました。でも、決して後ろ向きには歩かずに、一歩ずつ前に進んでいきたいものです。とりあえず、目の前のことに集中できるようになりたいし、シンプルにいきたい・・・

最近、自分の中に蔓延っている優柔不断さが、私の問題の根本な気がしてきました。でも、印象に残っているのが「毎日の決断を3秒以内にしなさい。そして、その決断を味わいなさい」と言う言葉です。例えば、いちごパフェとチョコパフェで迷った時に、3秒でこっちにする!と決めて、そのいちごパフェを徹底的に味わったり楽しむことが、人生を楽しくおくるコツなんじゃないかなあ。

最近、具合を物凄く崩して(2日間起き上がれなかった)のですが、その時に大豆田とわ子と3人の元夫を見返していました。私はこのドラマが狂おしいほど好きなのですが、特に登場人物たちのあいづちの打ち方が美しいと思います。例えば、誰かが悩みを打ち明けたとしても、登場人物は「うん」「そっか」「なるほどなるほど」「そう」とあいづちを打ちます。余計なことは言わない、この余白に優しさと美しさを感じます。私は、もしかしたら、(思ってもいないことを)多く発話しすぎてしまってたのかもしれないなあと思うなどしました。これからは、本当に思っていることだけを発話することを心がけたいです。これは、私が目指すシンプルさに沿うことだと思います。

やっぱり、私はアートが好きです。宮沢賢治、ゴッホ、スーラ、Roni Horn 、Wolfgang Laib 、内藤礼、Joel Meyerowitz、好きなアーティストはどこか達観していて、その達観しているからこそ、余計なものを伝えないシンプルさ・静けさが好きです。私は、fine artで言うと特にポスト印象派以降〜コンセプチュアルアートが好きなのですが、これは多分アートが個人的感性の表現だから、好きなのだと思います。多くの個人的な経験(対話)を通して、小川洋子の言う通り、ひとはそれぞれちがう物語を持っているのだと、最近気づきました。でも、人間は密やかすぎてその違う物語を中々外に出さないのだと思います。だけど、たまにその密やかな物語をアートとして表現する人に、私は惹かれるのだと思います。
バーンスタインも「The work of art does not answer questions, it provokes them, And its essential meaning is in the tension between the contradictory answers」って言っていたし

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