関東美修会 ~Les Enfant Terrible~ 華の章 第2章 ~桃園と呼ぶにはあまりにも壮絶な・中~(仮)

数日後の事。

この季節、この時間、そしてこの場所。
人里離れた山奥、早朝、午前5時。

信長は知っていた、そしてまた、自らをこの地に呼び寄せた。
「この朝日は格別だよ、「美」には決して間違いは無い」
以前にも増して、斜面から顔をのぞかせた朝日は、
対面する信長の顔を優しく照らす。

信長のその言葉には確かに間違いは無い。
だが、その場に立つ彼の姿には、常識的な思考を持つ者なら、
激しく「間違っている」と感じる事だろう。

真冬ともなれば極寒の地として有名なこの土地である。
山深いこの場所での、あっけないまでの軽装。
しかし、そんな身を切る様な寒さの中でも、彼は揺るがない。

美は全てにおいて、彼の思考を常に優先する。
それは単に精神的なものではなく、彼の肉体においても作用する。
彼の思考の中で、この寒さに合わせた重装備は「美しくない」のだ。

しかし、常識的に考えれば、氷点下の山林で、早朝にスーツとは。
その姿が彼の命を奪う事など、まるで気にもしないかの様だ。


「む?」
ひとしきり朝日を堪能していた信長が、
偶然に見たその目線の先に、人影が見える。

たかが人影と言えども、美しくないものには興味を全く示さない彼にとって、
その人影は「美しいから」目を惹いたのだ。
この地に信長を呼び寄せる程の、「美しい」朝日に勝る人影である。

日本の山中には、百獣の王はいない。
もっと言えば、この真冬ならば、たとえ居たとしても、
すかさずに死に絶えてしまうだろう。
いくら信長でも、それぐらいはもちろん知っている。

しかし、彼の目が捕えた美しい「それ」は、ライオンの持つ強さと
気品の様な、気高いオーラに溢れていた。
それでいて、その人影は周囲の風景や、この朝日の中に絶妙に溶け込み、
凡人の目にはその姿すら、止まる事は決してなかったであろう。

その「人影」は、他ならぬ、謙信、その人であった。
彼は微動だにせず、重厚なスナイピングライフルを構え、その場に留まっている。
その様子から、ずっと長い間、その場に留まっていた事も、
信長には理解出来た。

その姿は完璧に周囲と「調和」していた。
あるべき場所にあるべくして、あったのだ。
その姿には、何の矛盾も、何の疑問もなかった。

信長は、自身が焦がれた朝日よりも、
謙信の生み出した完璧なる「調和」に、
一瞬にして、その心を奪われてしまった。
その信長の行動には、間違いは無かった。


その朝日の美しさに惹かれて。
様々な要人や、著名人がお忍びで訪れるこの地。
謙信は飯島の命を賭けたレポートにより、一つの情報をつかんだ。
不倶戴天の敵である「王」とその一族が、
この日、この時間にこの場所を訪れる事を。

人里離れた山奥である事を利用し、
この場所は限られた人々の為の、会員制の秘密のリゾート地として、
「王」やその一族、そして招かれた客人にのみ解放されていた。

後に世界遺産となる程の素晴らしい景観を誇るこの場所である。
「王」達の力を持ってすれば、この地を都合の良い
「集会所」にする事など、雑作も無い事だった。

この場所ですら、飯島はレポートに記していた。
しかし、謙信にとっては「王」本人の狙撃が真の狙いではない。
それには、2つの理由があった。

一つは、戦況の泥沼化を防ぎ、バランスの取れた
膠着状態を招く為であった。

侠雄舎という、組織の長として。
「王」本人を撃てば、双方入り乱れた殲滅戦となる事は免れないだろう。
大きな後ろ盾を失った虎峰組が、玉砕覚悟の攻撃に出る事も
十分に予想出来る。
その上、侠雄舎そのものが賊軍に成り下がってしまう。

飯島の様な協力者や、部下達、そして謙信の母親の身を、
「王」と虎峰組との危険な総力戦にいたずらにさらす事は出来ない。
組織の長として、謙信は大バクチに出る訳には行かなかったのである。
だからこそ、他でもない謙信の手による狙撃という、
手段が最適であったのだ。

もう一つは、復讐である。
謙信には一つのケジメをつける必要があった。
宇田の存在である。

飯島のレポートを見た謙信が、ある箇所に差し掛かった時。
飯島の身の危険を、近い死を感じたのは、
そこに父、謙央の側近でもあった宇田の、侠雄舎への裏切りが
記されていたからである。

宇田にとって、謙信の腹違いの弟は、自らの権力欲を実現させる為の
「道具」にすぎなかった。
謙信が断腸の思いで、弟をその手にかけたのは、
父の正妻の権力欲を、確実に折る為もあるが、
宇田による、虎峰組への侠雄舎の身売りを防ぐ為でもあったのだ。

事実、宇田はその後すぐに、侠雄舎から姿を消した。
しかし、飯島のレポートには、姿を消したハズの宇田が、
虎峰組との接触を保っていた事も記されていたのだ。

「王」とその一族、そして虎峰組だけでなく、
この場所には、必ず宇田の存在があるだろう。
俺を、侠雄舎を敵に回した以上、ヤツにはその選択肢しか残ってはいまい。

その謙信のカンは、宇田のこの地への来訪によって
まぎれもなく正解である事が証明された。

謙信には確たる勝算があった。
王国を、虎峰組を今、倒せずとも、「王」の目の前で
宇田が倒れるならば、そのインパクトは大きい。

均衡を保ったまま、侠雄舎の組織ではなく、あくまで「個人的」に、
侠雄舎全体をさらす事無く、暗躍する宇田を始末出来る。
「王」と虎峰組にプレッシャーを与えながら、大きな打撃は加えない。
矛盾する様々な要因を、全て一挙にクリア出来る。
逆を言えば、それだけ謙信は難しい立場にあったと言えるだろう。

しかし、この非常に重要な情報の出所には、大きな疑問と矛盾を
感じずにはいられなかった。
「王」も、虎峰組も、鉄の結束を持っている筈だ。
危ういバランスの上に成り立つ結束は、時にして非常に強固な物となる。
そんな中、ルポライター崩れの飯島にそこまでの情報が、なぜ?

「まさか?「直樹」か?」その疑問は愚問でもあった。
謙信にとっては、それは疑問ではなく、確信でしかないからだった。
魔法の様な手段でしか、到底、実現出来ない状況。
それをやってのける男を、謙信は知っていた。


かつて、謙信は、自身の器を確かめるべく、戦場へ赴いた経験がある。
平和なこの国では、その肌と心で「戦う」を感じる事は出来ないからだった。

内戦状態にあった中東のとある国。
戦える場所ならば、何処でも構わなかった。
同じ民族の民が争う所では、流す血の身代わりとして、
他国の兵隊を募る必要がある。

俺にはそんな所が必要だ。
この場で俺が死ぬのならば、そこまでの器だったという事に過ぎん。
しかし、生きて再び日本の地に戻るなら、ここでの経験は、
その後の俺の人生を極めるのに必要な経験なのだろう。
自身の迷いを、謙信は戦場にゆだねたのだ。

そんな日本人が珍しい場所で、謙信は自分以外の日本人の噂を何度も聞く。
その男は、中東の地でありながら、漆黒の軍服を身に纏い、
敵であったり、味方であったり、時にはその両方であったりもすると。
「漆黒の天秤(バランサー)」と異名を持つ日本人がいると。

謙信が、迫り来る死と隣り合わせの戦場にすら慣れ始めてから、
数年が過ぎた頃、その奇妙な噂の主は、謙信の元を訪れた。

「俺は直樹、岩下 直樹だ、よろしく頼む」
その漆黒の出で立ちの男はもちろん新入りとしてではなく、
出戻りの兵士として、謙信の部隊に配属された。

「こんな所で「よろしく」という日本語に出会えるとはな」
「俺は乾という、よろしく頼む」

久しぶりの日本語に、謙信は楽勝ムードの兵舎を楽しんでいた。
敵の部隊は、2,3日中には撤退を余儀なくされるであろう程、
戦況は謙信達側へ傾いていたからである。
積極的な敵襲がうかがえず、敵兵の目には焦燥感のみが映る。
「勝ち戦、だな」冷静な謙信ですら、そう味方にうそぶく。

直樹といえば、非常に優秀な戦績を誇っていた。
加入直後から、部隊内では「頼れるヤツ」の代名詞的存在となっていた。
それだけの実力が無ければ、そうそう再徴兵はされる事は無い。
ましてや、敵側としても、との噂のある男である。
直樹本人は「漆黒の天秤」である事を否定してはいるが。

しかし、一週間後から状況は一変した。
敵側への投降者によって、謙信達の情報が漏れている為であった。
この楽勝ムードでの投降など、普通であれば考えられない。
「まさか?」謙信の脳裏に、直樹の異名がちらつく。

「謙信、ちょっといいか?話しておきたい事がある」
戻らない奴が増え始めた兵舎で、謙信を名前で呼ぶ様になった
直樹に呼び出されたのはそんな矢先だった。

「他ならぬお前にだから、あえて言っておく」
この地であえて日本語で話しかけるからには、他のヤツには秘密という事。

「俺はこの戦場から降りる」直樹はそうつぶやいた。
「お前もそうすべきだ、謙信、お前にはまだやるべき事があるハズだ」
「ここにも、何処にでも、「バランス」が必要なんだよ、謙信」
その言葉は、暗黙のうちに「漆黒の天秤(バランサー)」である自らを肯定している。

そんな直樹に対して、謙信は激しい怒りと共にこう叫んだ。
「ふざけるな、直樹、お前は何をしたんだ?」
謙信には直樹の裏切りは理解出来たが、その裏切りの手段が分からない。

しかし、不思議な事に。
謙信の記憶は、ここで終わっている。
謙信が気が付くと、すでに自分は無事に除隊を済ませており、
数日中に日本に帰国する手筈となっていた。

自分の部隊がどうなったかも分からず、
そして「直樹」が何処に消えたのかも、生きているのかさえも
「分からない」
自分が居た「戦場」は、機密扱いになっており、すでに除隊を済ませ、
一般市民となっていた謙信には、それ以上探る事すら出来ない。

唯一覚えていた、あの日の日付からは数日が過ぎていた。

違う、「忘れて」しまったんじゃない。
スッポリと「抜け落ちている」んだ。
そのまま、帰国する事しか出来ない立場となっていた謙信は、
諦めて帰国の途に付くしか無かった。

いつか、分かる時が来るだろう。
直樹はこう言っていた「この戦場から離れろ」と。

「その言葉の意味を、いつか必ず、聞かせてもらうぞ、直樹」


夢から覚めた様に。
謙信は光学スコープから目を離す。
身を斬る様な凍てつきが、謙信の意識をかろうじてつなぎ止めた。
ここはあの身を焦がす中東ではなく、生き延びた事によって
謙信自身を求めた、日本だった。

この程度の距離、環境下のスナイピングには慣れている。
「だが、集中を乱す様では、俺もブランクが祟っている様だな。」
そう心の中でつぶやくと、改めて深い集中へと赴く。

抜けている記憶の、前か後か?
今では分からないが。

直樹は確かに、俺に向けてこう言ったハズだ。
「お前にはヒューマン・エラーは使えない」と。
あれは、夢じゃない。


「あの時、お前を壊せば、「バランス」が崩れていたからな、謙信」
「いつか、話す時が来るだろう、俺の言葉の意味を」
同じ刻に、漆黒の男は、遠いロンドンの地で、そう呟いた。

続く

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