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人生あと半分(たぶん)

あと数ヶ月で四十路を迎える。

人生の折り返し地点にきたんだなとぼんやりと思い始めている。

若い頃は、『死』というものが抽象的すぎて、全く想像ができずにいた。
確実に自分の身に起こりうるものだけど、時期も原因も予知できないので、
いつかきたる『死』をただ待つだけだと感じていた。

しかし、40歳目前ともなると経験則などから死生観と向き合うようになるものだ。

心身ともに不調を訴えることが多くなってきたので、もしかしたら自分が想定している年齢よりも早くに亡くなるかもしれない。

ある日突然不慮の死なんてことも。


とにもかくにも加齢とともに、『死』も近づいていることは確かだ。


私が私である人生は一度きり。
輪廻転生がないのであれば、もう二度と地球上に生命体として生まれ変わることはない。

とある動画で、地球の終わりというのを観たことがある。
地球でさえも寿命があるって壮大すぎるよな。

地球の命が尽きてしまえば、もちろん二度と生命は誕生しない。
そう考えたとき、何故か物悲しさを覚えたのだ。

遥か昔から、気の遠くなるような時間をかけて、生き物はずっと命を繋いできた。


私の中に組み込まれた子孫をのこすという遺伝子があるからなのか、
地球の終わりとともに生命の活動も終焉を迎えるという事実を悲観してしまうのだろう。


まぁそれまで人類が生き残っているかは定かではないが。



かなり突き抜けた話になってしまったけど、
人生一度きり、残りの人生を楽しまなければ辞世の句も遺せやしない。


先日ふらっと立ち寄った書店で『どうせ死ぬんだから』という身も蓋もないタイトルの本が目に飛び込んできたのだが、
確かにそうだなと、思わず手に取った。

シニア向けの終活準備本のようだったので購入には至らなかったが、
『どうせ死ぬんだから』の言葉が妙にハマってしまった。


私、どうせいつかは死ぬんだから。

やりたいことたくさんしたい。
会いたいひとがたくさんいる。
挑戦もしたい。


私のあと半分の人生(たぶん)を悔いのないものにしたい。

どうせいつかは死ぬんだから。


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