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TMNetworkの40年と、私の35年。

2024年3月2日、札幌文化劇場hitaruにてTMNetworkのライブがあり、
私は友人2人と見にいく事にした。

きっと今これを書かなければ感動を忘れてしまいそうなのと、十代のあの頃の想いを重ね合わせて表に出す事はないような気がするのでこちらに書く事にしました。


彼らの事を好きになったのは遡る事約35年前。
今回ライブに行くにあたり、そもそも好きになったきっかけは何だっただろうかと
記憶を紐解いた。とにかく35年という月日は長い。

TMのヒット曲といえばシティーハンターで使われた「Get  Wild」や同アニメの「STILL LOVE HER」、少し後に出す「LOVE TRAIN」あたりを思い出される方が多いと思う。
私も例に漏れずシティーハンターが大好きでよくアニメを見ていた。
しかし私の場合、TMに関してはそこからではなく、アニメ雑誌からであった。

当時小学校5年生の私は学校から家に帰ってきて寝るまでアニメを必ず、1つも洩らさず見ていた。
ただどんな作品が、という事もなく全てを何となく見ていた。
当時は公言するとかなり後ろ指をさされる所謂オタクだった。
だがそこまで細い事までは分かってない「にわか」のオタク、半端もんだ
にわかオタクはにわかながらもアニメを見るだけではなくアニメ雑誌も毎月買っていた。
そこにはTVで放映されているアニメだけではなく田舎ではなかなか手に入れる事のできない
OVAの作品も沢山紹介されていた。
その中の1つに「CAROL」という作品が載っていて、これはTMのコンセプトアルバム「CAROL」と、それを題材にした小説を元に作られた
アニメーション作品であった。

キャラクターデザインは高河ゆん氏。
繊細で美しい、アニメ映えするキャラクターが雑誌に載っていた。
ただその作品はネットもない時代に安易に手に入る訳でもなく、その1ページだけが
何となくの記憶の片隅に残っていた。

それから暫くして、CDショップに足を運んだ時にこの「CAROL」のアルバムカセットが並んでいたのを見かけた。
少しづつCDの方がカセットテープよりもお店で陳列される割合が増えてきた頃であった。

このアルバムのジャケットはイラストでTMの3人と主人公である少女の絵が描かれていて、
アニメとはまた違うタッチでデザインはされているが、確かにあの時アニメ雑誌で見たキャラクターであった。
アルバムジャケットというのは大抵はアーティストの写真などがメインの中、これだけはイラストで描かれていてとても目を惹くものだった。
そのジャケットの絵を見るだけでどんな物語なのだろうと想像を掻き立てられるようなファンタジックな世界観だった。

カセットを購入して聴いた時の衝撃。
ミュージカルを見ているような不思議な感覚だった。
その後すぐに小説も読んでCAROLの世界をようやく味わう事ができた。

それが私とTMとの出会いで、そこからはどんどん他のアルバムを聴くようになった。

無機質な音楽を中和するかのように繊細で敏感な十代の気持ちを描く歌詞も魅力のひとつだった。
歌詞は自分達ではなく女性作詞家を多く起用しており、私も例に漏れず心を揺さぶられ、掻き立てられ、励まされ十代を過ごした。

彼らの作る今までにない音楽、繊細な歌詞、そしてインパクトのある宇都宮隆氏の歌声が重なった。
セクシーではあるがいやらしくない、つまり「キモくない男性」というのが重要だった。
小学生、中学生の私にはJーWALK・何も言えなくての歌詞「綺麗な指してたんだね 知らなかったよ」もちょっと嫌だったし夏の日の1993(class)の「普通の女と思っていただけど」も結構キモい。

でもウツの「(女性の声)すごい汗」からの「バラード1曲分だよ」(CRAZY FOR YOUより)は全然キモくない!!不思議!!どうして?
…文字にするとちょっとキモいかもしれない…

TMのイメージ戦略でもあるが宇都宮隆氏ともう1人、言わずもがなの小室哲哉氏も「いやらしくない男性」の1人としてメンバーにいる。
現実世界には存在しないような雰囲気、音楽のイメージ通りの無機質で食事も摂らないのではと思わせるような細身で王子様のような存在感。
TMに関して私は所謂箱推しではあるが小室哲哉氏が一番好きで、憧れの存在だった。
音楽活動以外の事もスキャンダルされる事も多く、むしろそちらのイメージの方が強いという方もいるかもしれないが彼は今も昔も音楽に対して追求心が強く、ストイックで、そして無邪気な人であり、それが魅力的な部分である。

イメージ戦略としてデビュー当初「いなかった」事にされている木根尚登氏ではあるが、
彼は後にラジオで軽快なトークをして、それまでにTMになかった三枚目の役をかって出たり
そもそもフォーク畑だった音楽性のテイストを絶妙に混ぜてみたり、小説は彼の語り口調と同じく優しくわかりやすい文章とストーリーで、本を読み慣れていない私にも入り込みやすかったのを覚えている。

この絶妙なバランスで仕組まれた3人が作る音楽に、私は夢中になった。

毎日、夜中まで、いや明け方まで眠れなかった中学時代は
ずっとTMをラジカセで聴きながら彼らの作る曲のイメージを頭の中で膨らませて絵を描いたり小説のようなものを書いて過ごした。

だが程なくして彼らは一度「終了宣言」つまり解散をする事になる

その頃には小室哲哉氏はすでにtrfなどのプロデュース業に力を注ぎ始めたのでTMとしての活動はあまり見られなかったが、その終了に合わせて作られた
「Nights of The Knife」という曲が、終了のわりには「始まり」「これからも走り続ける」という新しい一歩を踏み出す人へのメッセージが込められていて、悲しい別れではなく
更なる飛躍をするという意味では、当時親元を離れて遠くの高校に進学を決意した時期と重なり、彼らが存在しなければあの時のターニングポイントはなかっただろうと言える。
(進学にあたり快く送り出してくれた両親がいてこそではあるが)


月日は流れ、他のジャンルの音楽を聴くようになったり、人生の新たなターニングポイントを迎えてからは音楽を聴く余裕もなかったりでTMNetwork、TMNは私の中では「十代の多感な時期に聴いていた大切な音楽の1つ」という位置付けでおさまっていた。

コロナ禍から少し過ぎて、段々といつも通りの日常を取り戻そうとしていく中、
音楽アーティストも続々コンサートを再開し始めた。
その中で、私の古くからの友人がこぞって昔好きだったアイドルやアーティストのコンサートに行く事になった。

そうかぁ〜いいなぁ〜私も昔好きだったアーティストは誰だったっけなぁ?
そうだ、TMだ。チャンスはもう訪れない、今行動しないと!
そう思い、コンサートをやっているかどうか調べた。

結成40周年のツアーで札幌に来るという。
あの頃一緒に好きを共有していた地元の友人2人を誘った。

私の地元は札幌へは車で6時間はかかる場所にあり、そもそも子供がコンサートに行きたいと思っても親を連れて何時間もかけて会場へ行き、一泊してまた何時間もかけて家に帰るという事もできないので、好きなアーティストはTVや雑誌で見るものでしかなかった。
コンサートに行く、という事は想像すらできなかった。
ビデオテープでしか見た事がなかったTMのライブ。
あの頃同じようにTMを好きだった2人もきっと同じ事を思っていたに違いない。

ビデオテープで見ていた80年代の宇都宮隆氏は、踊りながら歌っても全く音程が乱れる事がない、
今で言う三浦大知氏のような存在であった。
その歌って踊れるイメージが、60代になった彼らはどんなライブを見せてくれるのか楽しみだった。

静まり返ったステージ。
何度も聴いたイントロから始まった

「Nights of the Knife」

あの時の、終わりの曲から始まった。

変わらない澄んだ歌声
歳を重ねてはいるが確かに私が憧れてきた3人が目の前にいる。
動いている。

2000年代の活動を再開してからの新しい曲も沢山入っていたが、初期の頃のシングル「アクシデント」もやってくれた。
だがそんなマイナーな曲をやっておきながら「GetWild」も「Still  Love Her」もやらず、
小室氏のピアノソロタイムでは全くわからないアレンジの伴奏に合わせて「サンハイ?」みたいな合図をされて、それを当然のようにわかってる古参FANKSは当たり前のように「SEVEN  DAYS WAR」の曲の中の一節を歌いだすというなかなか難解な一幕もあった

バックバンドがいない、3人だけのシンプルなステージではあるが
ライティングもミラーを何個も使ってドローンのように動かしていたり、
曲のイメージに合わせた映像を流したり、飽きのこない演出が凝らされていた。
あの頃から時が流れ、アーティスト本人達は勿論だがFANKSもまた同じように時を重ねた。
お互い年相応の大人な空間を感じることができ、落ち着いて楽しむ事ができた。

またアップテンポな曲もあり、
「You can dance」では小室氏がショルキーを肩にかけステージを走り回った
「Nervous」では振付付きで歌ってくれた。私の前の席にいた小学生の男の子も楽しそうに踊っていた。

何よりフロントマンとしてのウツの存在感がとてつもなく強く、
一目で引き込まれる視線、たまにイタズラっぽく笑う顔がとてつもなくかっこよくて、スリムでこんな66歳おるんか?っていうほどの魅力があった。

最後はアンコールなしでスパッと終了。
これがまた「もっと見たい」「もう一度見たい」と思わせる戦略かもしれない。

デビューして40周年、私が好きになって35年、
年月はかなり経ってしまったが、行けて良かった。
生きていれば、夢は叶うのだ。
忘れかけていた十代の頃の想いが報われたひと時でした

最後になりますが、このライブに行くにあたり、一緒に行こうと賛同してくれて
地元からきてくれた友人達と、仕事が入らないように配慮して子供と一緒に留守番をしていてくれた夫に感謝します。