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才能ある人に欲を持って欲しい

私の周囲には素晴らしい才能を持った友人達がいて、若い頃からその美的感覚を眩しく、そしてとても羨ましく思っていた。

イラストを描けば彼女なりの世界観が投入され、色使いも構図も見事で、さすが有名美大を出ているだけあって基礎もばっちり。
ある友人は見た目麗しく、ファッションセンスも素晴らしい。
彼女が独特のセンスで作り出す雑貨や洋服にはいつも敵わないと感じていた。


自分の中を探ってみても彼女達には到底及ばないモノしか出てこなくて、いつも自分の小ささを実感させられていた。
たくさんのモノを見て、努力して、自分の中の小さな才能を頑張って磨いても、天然でサラッとその才能を纏う彼女たちには敵わない。
「自分には才能がない」
そんなコンプレックスに悩まされていた時期もあった。


自分には彼女達の様に自分の中から湧き出る才能やセンスはなくても、お客さんはこんなモノを作れば喜んでくれるのではないか?寄り添って想像するモノ作りには私は向いているかも知れない。
企業デザイナーを数年経た頃、自分の物作りのスタンスを見つけられた気がした。
現場の声を聴き、売上データを解析して、自分なりの色を添えてデザインに落とし込む。

このシーズンにはこういう方向性・構成にして、お客さんに届ける靴、どうデザインしよう。
自分の中のセンスを見つめて物を生み出すには足りないかもしれないけれど、お客さんに届けるモノを想像して作るのならこういうモノかな?とアイデアが湧いてくる。
それは企業デザイナーだった時も個人作家の今も変わらない私のスタンス。


自分にはない才能を持った羨ましい彼女たち。
彼女達には是非その才能を生かして欲しい、それが仕事に繋がったり世間に認められると私も嬉しい。
その恵まれた才能をそのままで終わらせるなんてもったいない。
この才能を半径1m以内で終わらせないで欲しい!
そんな期待を勝手に抱いて、彼女たちに色々行動してみるように会う度にずっとずっと伝えていた。
完全なるおせっかいです…。


でも、彼女たちも40代になりました。
多分この先も半径1m以内でその才能を発揮していくだろう。
才能を外側に向けて行動することは、この先もないと思う。
だって、本人たちがその行動を望んでいないから。


自分が彼女たちなら、その才能をどう仕事に繋げたり認めてもらえるように、すごく考えたり行動するのになぁ。
でも私は彼女たちではない。
残念だなぁ、そんなに素晴らしいのに。


素晴らしい才能やセンスを持っていても、そこを広げていく欲望がないと行動には繋がらないよね。
その才能やセンスを周囲だけに発揮して生きていくのは決して悪いことではない。
でも、彼女たちを傍らから羨望とちょっとした悔しさと自分に対する悲しさで眺めていた私としては、彼女たちに欲望を持って欲しかったな、と思わずにはいられない。


才能ある人に欲望を持って欲しい。
心から思うのです。


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