アニメは”日本人としての強さ” アニメ★大革命〜アニメビジネス戦略〜第五回目

デザイナーをしていた期間が1年程あります。
主にwebデザインとキャラクターデザインを担当していました。
高校時代から、IllustratorとPhotoshopは授業で学んでいたので、それなりに使用することができたので、仕事はわりと重宝されました。
というのも、今から約10年前のことです。
今でこそIllustratorやPhotoshopを一般の方も難無く使ってますが、当時はまだ専門的な学校か仕事をしてる人が使用する特殊なソフトでした。

それまで絵という分野しか学んで来なくて、他の選択肢は考えることもなくデザイナーの道に進みました。
「好きなことをしたい」「得意なこと(絵)を活かしたい」と思って就いた仕事だったけど、それは予想以上に退屈で、窮屈な場所でした。
その窮屈さが何かを考えた時、一つのことに気付きました。
”デザイナー(私)から、経営(お金)が遠い”ということ。
 だから、言われたこと、準備されたことをする”作業者”でしか無かったのです。
もちろん、「新人なんだから好きなことなんてできない」と言われればそうなのですが、仮にベテランになったとしてもクリエイターがクリエイターとして活躍できる場が"日本"にあるとは思えませんでした。

産業革命時にウィリアム・モリスが行った「アーツアンドクラフツ運動」は、私は"思考の戦い"だと思っています。
私の好きなEUは、この"思考の戦い"が上手いです。

一方の日本はどうでしょう。

日本は新しいことを取り入れるのは好きです。
しかし、新しい思考を取り入れるのは大の苦手です。
(もちろんそのバックボーンには、日本の経済は国内消費の割合が4割あれば賄える等と言う理由もあるとは思います)

つまり、私が求めること(クリエイターがクリエイターとして活躍できる場所)は、日本ではクリエイターに対する価値観が未熟だから出来ないということに気付きました。

そして何より、「絵しか描けない自分」に強いコンプレックスがありました。
どんな理屈を並べても、行き着く先は「それしか出来ない自分」でした。

出来ないのだから諦めて従う・・・わけもなく、私自身、自分が一般職で活躍出来そうにもないことは何となくわかっていました。

やっぱり、ここでも"外国に行きたい"と思いました。
“隣の芝は青い”なのかも知れないけど、私の価値観や感覚が日本には合っていないというのは、義務教育時代に痛いほど経験してきました。

たまたま絵が人以上に描けて、美術だけで生きてこられた。周りも同じ感覚を持った人が集まってたからこのままの自分で良かったけど、社会に出るとそれまでの美術の世界ではありません。

デザイナーをしながら外国に行く方法を模索しました。
英会話学校に行ってみたり、外国人との交流会に行ったり。
だけどどれもスッキリしませんでした。
ほんの少し希望を感じたのは、外国の人が日本のアニメを好きなこと。
そこにはとても興味惹かれるものがありました。
でもただそれなだけで、これといった外国に行く目的がありませんでした。

実は私の父は、若い頃にロサンゼルスでカメラマンとして6年間ほど働いていた経験があります。そこで永住権まで取っていました。
おそらく、私が海外に興味を持ったのは間違いなく父の影響です。

海外を知っている父に、外国に行きたいことを相談しました。
私は兄が2人おり、3番目に出来た初めての女の子だったので、甘やかされて育てられてきました。
好きなことは何でも叶えてもらえたし、欲しいものは何でも買ってもらえました。
なので、今回も、叶えてもらえるとどこかで思っていたところがあると思います。
しかし、結果は猛反対。
後にも先にも、父にここまで反対されたことは無いと思うくらい反対されました。

父に言われました。
「麻美の周りにいる外国人はアニメや漫画が好きとか、親日家の人たちなんだよ」
「麻美は、日本が好きな外国人しか知らない」
「日本のメディアはさも日本が一番というように言ってるけど、そんなことはない」
「世界に行けば日本なんて東洋の島国くらいにしか思われてない。日本を知らない人だってたくさんいる」
そんな中で、一番インパクトがあったのは「アジア人差別」という言葉。
「アジア人差別ってのを知ってるのか?海外に行けばアジア人は劣等民族だと思っている人はたくさんいる。もしもレストランに行って、麻美がアジア人というだけで差別をされた時、周りの人は誰も助けてくれない。そういう場に出くわした時、言葉で勝てない麻美は、知らない国で一人で耐えられるのか?どんなことがあっても、胸を張って日本人として生きていけるのか?」
「日本はほとんどが日本人だから人種差別がない。世界に出るとそうではない。これまで見たことがない差別がある。」

こう言われた時、想像して、正直「怖い」と思ってしまいました。
どうしようもない理不尽な理由で居場所を失うことの恐怖。
でもその理不尽が理不尽としては成立しない世界。

成立しないのであれば、弱い存在として思われるのあれば、”日本人としての強さが欲しい”
日本人として誇りを持ち、世界の誰もが手に入れられない力を持てば、日本人という存在を価値に変えてしまえば良い。

その時に思い出したのが、エヴァンゲリオンの社会現象。

「これだ」と思いました。
私が欲しい”日本人としての強さ”は「アニメ」だ。

でも果たして、本当にメディアが言うほど日本のアニメは世界に人気があるのか?
それを知りたいと思いました。

たまたま友人の従姉妹がフランスに移住しており、すぐにその人を紹介してもらいました。
理由を説明して、フランスのアニメ好きの若者を何人か紹介してもらい、外国人と直接やりとりをスタートしました。
今思うと、フランスだったのはとても良かったと思います。
何故ならフランスは日本とはまた違う価値観でアニメを捉えているからです。
国が一つの文化として、予算を計上しています。
フランスのアニメ業界は私の中で今でも一つの指標です。
フランス人と話していて、「もっと海外から見る日本のアニメ産業を知りたい」と思うようになりました。
でもそもそも、アニメを仕事として見たことがなかったので、アニメ産業を知りませんでした。
なので、「まずは内側からアニメを見てみよう」と思い、アニメ業界を目指すことにしました。

そこでつまづくのが、低賃金、重労働問題。

でも、色々調べてみると、労働時間は別として、給与が一般以上に出ている会社は少ないですが0ではありませんでした。

そもそも、私の目的は給与ではなかったので、正直常識の範囲内であればお金はいくらでもよかったです。
時給が100円になろうが、拘束時間が長いんだから年収として一般サラリーマンの平均年収以上であれば良い。そのくらいに考えてました。

そこに落とし込めたのは、アニメーターを選択していなかったからと言うのもあります。
それは先述したように、コンプレックスからくるものだったのかも知れません。
自分の弱点を克服したかった。

ここまで来る過程の中で、フランスで活躍する日本人クリエイターやフランス人のクリエイターに出会い、日本でのクリエイターのヒエラルキーは低いと感じました。

手に入れられないと分かっていながら、またそこに行く気にはなりませんでした。

何故低いのかはデザイナーをしていてわかっていました。
決定権がクリエイターにないからです。
日本にいるクリエイターは技術を使うことしか出来ない。自己のプロデュース能力が低すぎます。
だから、会社の決定から遠くに置かれてしまいます。
結果として、クリエイターの立場が弱くなってしまいます。

これは一概にクリエイターが悪いというわけではなく、クリエイターに限らず日本の教育そのものの問題であるとも思います。

ここで私が取った行動は、発想の逆転で、”クリエイターが決定権を持てるようになれば良い”
答えとは意外とシンプルです。

自分の根源が「美術」であることはどんな状況になっても変わりません。

まずは、苦手だと思うこと、私にもっとも足りないところを克服しようと思いました。

クリエイティブな仕事に出来るだけ近く、でも一般職にも通じるような仕事、と考えた時、アニメ業界にある管理する側の仕事(制作部)は私にとっては持ってこいの仕事でした。

運良く、制作の仕事はアニメーターよりも給料は安定しているようでした。

そしておそらく、アニメ業界の制作部にいる人のほとんどは絵が描けない。
出来ないよりは出来たほうが良いわけで、私の持つこの美術の知識や技術が強みにもなるのではないか。
これは現在、会社を辞めてからとても役に立つものだと身を持って実感しています。

そんなこんなでアニメ業界へ就職するのか、、、と思いきや、「その前に思いっきり自由に絵を描きたい!!」と思い、武蔵野美術大学の編入試験を受けたところ受かったので、武蔵美に入学することにしました。

実は武蔵美に行く前には、アニメーターではなく制作の方というのは何となく決めていました。

今回は、ここまで!
次回は、いよいよ商社マンと組みたいと思ったきっかけを投稿します!

最後までお読みいただきありがとうございました!!

◆プロフィール
1988年宮崎生まれ
武蔵野美術大学卒業
シンエイ動画株式会社退職後、ドイツへ移住。
2020年、帰国。
2021年、株式会社RICE FIELD設立。
iPadでのアニメ指導!『みやざきアニメ塾』開講中!
その他、TVCM、MV、メディア出演など多方面で活躍しています。
HP https://ricefield-anime.info

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