見出し画像

塗料メーカーで働く 第十三話 ユーザーの要望

 2月22日(水)午後1時頃に JR総武線の佐倉駅の改札口で 川緑は 営業の北野係長と松頭産業社の菊川課長と合流した。

 3人はタクシーに乗り込み 目的地の大手電線メーカーの藤河電線社へ向かった。

 藤河電線社に着くと 初めてここを訪れた川緑は 菊川課長の守衛所での記帳の間に 事業場内を見回した。

 彼の視界には 送電用の銅線しケーブルを作るための奥行きの長い工場が立ち並んでいて 近くには木製やプラスチック製の大きな糸巻き状のボビンが数多く積み上げられていた。

 事前に 藤河電線社の技術課から守衛所に 彼等の来社の連絡があったようで 守衛さんは 「食堂へ行ってください。 分かりますか。 向こうの建物の2階です。」と言った。

 3人が食堂に上がると 食堂のフロアーの奥から技術課の2人がやって来て 1人が 「こんなところですみません。」と言った。

 横長のテーブルが列を作るように配置され 数百席ほどがあると思われる食堂は 天井が高く開放感を感じさせる所だった。                                

 菊川課長は 「広いところの方が開放感があっていいです。」と言った。

 川緑は 技術課の2人と名刺交換すると 互いにテーブルに向き合うように座った。  

 打ち合わせは UVカラーインク試作品の紹介がメインで 川緑は 試作品の特徴や様々なデータについて説明すると 「ぜひ UVカラーインク試作品の評価をお願いします。」と言った。

 彼等は暫く間をおいて 開発品を評価することに合意を示したが その言葉には今回のインク試作品を積極的に評価したいという意気込みは感じられなかった。    

 技術課の倉田主任は テーブルの前の方に身を乗り出してくると 川緑の目を捉えて 「とにかく もっと早く固まるものを 硬化性のよいインクを作ってもらえませんか。」と強い口調で言った。

 川緑は 彼の言動から 彼等が必要としているUVカラーインクは 今回紹介した試作品よりも桁違いに早く固まるインクだと分かった。                             

 その背景には 今後のJTT社からの光ファイバーのコストダウン要請があり それに答えて 事業を成功させるために なんとしても光ファイバーの生産性を上げたいという意図が感じられた。

 主任の気持ちに動かされた川緑は 「ご期待に沿えるように努力します。」と答えた。

 帰りの電車の中で 川緑は ぼんやりと硬化性が良いということはどういうことか また硬化するとはどういうことかを考え始めた。

 今回提出したインク試作品の技術報告書に記載された硬化性の項目には インクのゲル分率の測定値が記入されてた。 

 ゲル分率の測定は インク硬化物を有機溶媒で煮沸し未硬化分を除いた硬化物残分の重量を求める方法で この方法は 一度に多数の試験サンプルを同時に評価することができる簡便な方法だった。

 しかし 一方で ゲル分率のデータは 試験条件によりその値が異なるものでもあった。        

 硬化性のデータと共に 技術報告書に載せていたUVカラーインクの液特性や硬化物特性は その試験方法がJIS工業規格に示されている厳密な評価方法に準じて測定したものだった。

 それらの評価項目は UVカラーインクに限らず塗料や接着剤等の樹脂材料一般について 評価によって得られる特性値が科学的な本質と結び付いていて 得られる特性値は 普遍的な値として認識されていた。

 一方 一般に用いられている硬化性の評価は 得られた結果が普遍的な値として認識されているものではなく対処療法的な評価方法だった。

 樹脂材料の硬化物の硬化の状態を評価する方法は数多くあった。       

 例えば 硬化物の硬さや弾性率や伸び率といった機械的強度を評価する方法や ゲル分率のような化学的な安定性を評価する方法や 屈折率や官能基濃度を光学的に評価する方法等があった。

 しかし そのような評価方法によって得られる数値は ある条件下で硬化させた樹脂材料の硬化状態を一つの側面から見たもので その数値が樹脂材料の硬化状態について 普遍的な序列をつけるものとはなり得なかった。

 例えば いくつかの樹脂材料をある条件で硬化させて それらの硬化状態を硬化物の硬さを評価した結果と ゲル分率で評価した結果とでは それぞれの評価方法で得られた硬化状態の序列は異なることがしばしばあった。 

 このことは 一般に用いたれている硬化性の評価方法は 樹脂材料の硬化状態を一義的に表現し得るものではないことを示していた。 

 しかしながら 樹脂材料の硬化の状態が硬化物の機械的強度特性や表面特性や長期信頼性に大きく影響することも事実だった。                                 

 そうであれば 樹脂材料を開発する時に要求される特性を得るには 樹脂材料の硬化の状態を厳密に把握し特性値と関連付ける必要があると思われた。       

 また そうしなければ 樹脂材料の設計を誤ってしまうと思われた。

 藤河電線社の倉田主任の言葉 「とにかく もっと早く固まるものを 硬化性のよいインクを」に応えるために 川緑は 樹脂材料の硬化性をもっと良く理解しなければならないと感じた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?