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塗料メーカーで働く 第十六話 実験方法の考案

 6月29日(木)午前8時頃 始業時間前に出社した川緑は UV硬化型樹脂の硬化性の研究の中で 光重合開始剤の反応性を評価する方法を考えていた。

 UVカラーインクの硬化反応は インクに含まれる光重合開始剤がUV光を吸収して活性化することから進行するものだった。

 一方 光重合開始剤が吸収する光の量は インクの吸収する光の中で 着色材や樹脂分子や添加剤等に吸収される分を除いた量になると予想された。 

 このことは  UV硬化反応がインクの成分の影響を受けることを意味していて 光重合開始剤の反応性のみを評価するには その他の成分の影響を切り取る必要があった。

 川緑は 光重合開始剤が吸収したエネルギーを利用して 何か化学反応を起こせないかと考えた。

 光重合開始剤が吸収するエネルギーは 光の波長の逆数に Planck 定数を掛けたもので示され 例えば 波長 350nmの紫外線のもつエネルギーは 5.7×10E-19J となった。

 一方 第一鉄イオン (Fe2+) が酸化されて第二鉄イオン (Fe3+) になるのに必要なエネルギーを計算すると  1.8×10E-19Jで 先の光のエネルギーよりも小さいことが分かった。 

 川緑は これらの2つの化学反応を組み合わせて 光重合開始剤の反応性を評価することを考えた。

  1989年8月1日(火)午後2時頃に 懸案の光重合開始剤の反応性の評価を行うために 川緑は次のような実験装置を作製した。 

 200ccのビーカー2つを 2つの隣接するスターラーに乗せて それぞれのビーカーに白金電極を差し 白金電極同士は電流電圧計を介して銅線で接続した。 

 それぞれのビーカーに 光重合開始剤と塩化第一鉄を 水とエチルアルコールの混合液に溶かした溶液を 100ccずつを注いだ。

 次に チューブを用いて その一端を片方のビーカーに差込み 試料溶液を吸い上げて チューブの他端をもう1つのビーカーに差し入れ 双方の溶液をチューブを通して連結した。

 それぞれのビーカーの溶液に 窒素をバブリングして 第一鉄イオンと活性化した光重合開始剤が空気中の酸素により酸化されることを防止した。

 5分間のバブリングを行い実験系を安定させた後に UV照射装置を用いて 片方のビーカーの試料溶液にUV光を照射した。 

 川緑は UV光照射した時に ビーカー中の光重合開始剤が吸収したエネルギーにより第一鉄イオンが酸化されて 他方のビーカー中の溶液との間に電位差が生じて電圧計の針が動くことを期待した。

 ところが 期待に反して UV光を照射してもアナログ式の電流電圧計の針は動かなかった。 

 川緑は 首をかしげ 「うーん?」 と言って 針が動かない理由を考えていた。

 すると そこへやってきた杉本部長は 「いったい 何の実験をやっとるんかね?」 と声をかけた。

 川緑は 「電気化学の実験をやってまして この針が動くはずなんですが。」 と言った。 

 暫く電流電圧計を見ていた部長は 「針が動いとるぞ!」 と言ったので 見ると 確かに 針がメモリのゼロ付近で小刻みに動いていた。

 針の動きを見た瞬間に 川緑は事態を把握できた。 

 想定した反応のプロセスは進行していて 電極間に電位差を生じさせたが 電流電圧計の内部抵抗が小さいために 電極間を電流が流れてしまい電位差が計測されなかったのだった。

 川緑は 部長にお礼を言うと 直ぐに研究本部へ行って 以前 アンテナ用保護塗料の開発で交流のあった島崎係長を探した。

 川緑は 彼に実験の状況を説明して 研究所が保有する内部抵抗の高い電圧計を貸してくれるように頼んだ。

 島崎係長は 「面白い実験をやってるな。いい装置を貸してやるからがんばれよ。」 と言った。 

 技術部の実験室に戻った川緑は 電圧計を取り替えると 始めから実験をやり直した。

 先と同じ手順で準備し 実験系を安定化させると UV照射装置のシャッターを開けた。

 同時に ストップウォッチを押して 電圧計に目をやると 直ぐにデジタル表示の数値が上昇していくのが見えた。 

 「よし! きた!」と言うと 川緑は 1分ごとに電圧の値を読み取りノートに記録していった。  

 実験開始から20分くらい経つと 電圧の値は一定の値で安定し、その後 UV照射装置のシャッターを閉じると 液晶表示の電圧は降下し始めた。 

 川緑は実験結果をノートに記録すると その後 幾つかの光重合開始剤について同様の実験を進めた。

 次に 川緑はUV光源を高圧水銀ランプからメタルハライドランプに交換して同様の実を行った。

 実験で得られたデータは 光重合開始剤の種類や組み合わせによって また光源の種類によって異なり 到達する電圧の最大値も異なった。                                   

 これらの実験結果は それぞれの光重合開始剤について 第一鉄イオンをどれだけ酸化させ易いかを示していて それらの反応性を表しているものと考えられた。 

 川緑は この一連の電気化学実験を行う中で 興味を惹かれる現象を目撃した。            

 多くの試験サンプルは UV照射時に 電圧がプラス側へ変化したが 中に1つだけ マイナス側へ変化するサンプルがあった。

 そのサンプルは 光重合開始剤の反応が異なるタイプのものであった。

 川緑は 異なるタイプの光重合開始剤を用いた試料溶液を それぞれビーカーに注ぎ 双方のビーカーに同時にUV照射すれば 光のエネルギー変換効率の良いバッテリーができるだろうと思った。  

 想像の世界から戻った川緑は 今日の実験結果を基に 反応性の良い光重合開始剤と その組み合わせを UVカラーインクの設計に反映させることにした。

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<備考> 浜崎さんの研究発表の詳細に ご興味をお持ちの方は 別途 掲載の「川緑 清の【テクニカル レポート】No.1」 をご参照ください。


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