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人生100年時代、"健康なカラダ"で笑顔で過ごしませんか?

皆さん、こんにちは!私は、痩せ体質専門トレーナーの、塩川雄太です!

私は、30代から40代のための、健康で魅力的なカラダづくり、痩せ体質づくりの専門家です。

私がこの活動をしている理由、それは、私がサラリーマン時代に、人間関係のストレスや生活習慣の乱れから、頭痛や不眠症、体重増加やギックリ腰など体調不良に苦しんだことのあるひとりだからです。※現在も、現役:サラリーマンです👨‍💼

「自分は健康だから大丈夫」と思っていた自分が、実は健康ではなかった事実を知り、愕然としました。

そして、様々な出来事をきっかけに、本気で身体を変えたら、自分の人生がガラリと180度変わりました!

この今までの経験を、ぜひ同世代の方々に伝えていきたいと考え、このページを作りました。

今回、私のこれまでのストーリーをこのページで紹介していきますので、少しだけ目を止めて読んでいただけると、とても嬉しいです。

【自己紹介】

生後12日目にしてカメラ目線📷✨


昭和62年9月27日に福岡県糟屋郡志免町で生まれ、3,680gの大きな体で、次男坊として、この世に初めて足を踏み出しました。小さい頃は、小児喘息に苦しみ、煙が苦手だったので、 親戚やいとこ、友達と花火で遊んだりできない身体でした。父親は、私の小児喘息により、禁煙したくらいです。

生まれて3ヶ月して、父親の転勤により、福岡県から埼玉県春日部市に引越し、青春時代を過ごしてきました。2つ上の兄がいますが、年も近いせいか、毎日小さなことで喧嘩(ゲームやテレビ、ソファの座る位置などで…)してました。そして、兄が始めた少年野球をきっかけに、次第にスポーツに打ち込むようになりました。

【青春時代の葛藤】

キャプテン・4番・キャッチャーでチームを牽引しました⚾️





小学3年生から始めた少年野球にどっぷりハマり、とても充実した日々でした。小学3,4年は市内でも弱小チームで、なかなか勝てない時期がありましたが、個々とチームが育ち、5,6年では、市内で負けなしの強豪チームへと成長しました。私は、5年からキャプテン・4番・キャッチャーとしてチームを牽引しました。傍ら、足も割と早い方でしたので、市内の陸上競技大会から始まり、リレーで全国大会出場、中学では野球を断念し、陸上競技に専念しジュニアオリンピック出場と、スポーツを楽しんでました。高校でも陸上競技を続けましたが、私の人生で最大の挫折ともいえる膝の怪我【腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん)】と手術は、とても苦しい時期であったのを今でも忘れません。成功と挫折が入り混じった学生時代でした。

【高校時代の挫折・手術、リハビリ入院】
高校一年の冬、朝起きて突然激痛に襲われました。右膝裏に痛みが出て焦ったのを今でも覚えています。駅までの通学も歩くことがままならない状況で通学し、その日の夕方に市内の病院に診察をしてもらいました。診断結果は「」で膝の掃除をすれば治るでしょう」という診断でした。早く治して競技復帰をしたい強い希望から親を説得し、人生初の手術を受けました。よくなるかと思いきや、手術後も違和感が…「これはおかしい」と悩み、親に相談をし、父の知人から紹介を受けたセカンドオピニオンの病院へ行き、診察を受けると、そこで初めて「腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん)」と診断されました。当時、衝撃を受けたのが、「これは手術を受ける必要はなかった」と言われたとき、空いた口が塞がらなかったです。そして、先生より温泉病院のリハビリを勧められ、高校2年の夏、約2ヶ月間、群馬県の最北に位置する群馬県利根郡みなかみ町「上牧温泉病院」でリハビリを行いました。親元と学校からも離れで、不安でしかありませんでしたが、両親や当時の顧問、チームメイト、そして病院で出会った理学療法士の先生や施設の方々、他の患者さんたちからの励ましもあり、リハビリを乗り越えることができました。競技復帰に向け、高校2年の時は、大会は出ず、高校3年の大会に標準を絞って、日々準備を進めていきました。順調かと思っていた矢先に、また違和感が…全力に近い力で走ると痛みのような違和感が走るたびに感じ、徐々に走るのが怖くなっていきました。結局、高校3年の時もこの痛みと違和感と日々闘いながら、騙し騙し練習をした結果、思うような結果を得られずに高校の陸上生活が終わりました。
中学までは順調に行き、高校でも期待に胸膨らませながら臨んだ陸上競技でしたが、納得が行く結果を出せず、また当時スポーツ推薦で特待生で入学し、そのプレッシャーに勝てず何も結果を残せなかったことに、とても情けなく、自分は結果を出せない人間だな、と自分を責めるような思いがあったのだと、今考えるとあったのだと思います。大学進学もスポーツの話をいただいていましたが、「もうスポーツに関わるのはやめよう」と蓋をし、
そんな自分とうまく向き合うことができず、目標を見失った時期だったと、今振り返ってみて感じます。


【高校から大学、社会人へ】

高校時代の挫折を受け、大学時代では、勉学というよりか、遊びとアルバイト生活に明け暮れていました。遊びでは、ボウリングにハマり、友達と1日に24ゲームすることも…w。アルバイトは、酒屋やガソリンスタンドで比較的身体を使うアルバイトをし、その当時の先輩からの話から車が好きになり、マイカーを買うために週5,6で働いた学生時代でした。
就職活動は、アルバイト経験を活かして、車関係かルートセールスの仕事に就いてみたかったが、2010年卒当時は、「就職氷河期」と言われ、なかなか内定をもらえなかった。唯一内定をもらった地元企業への就職で、社会人生活がスタートしました。
社会人になってからは様々な業種の営業職に挑戦してきました。ルートセールス、不動産仲介、物流など、営業職としての経験を通じて、人とのコミュニケーション力を磨き、他者から「ありがとう」と感謝されたときに、貢献できた、と喜びとして感じてきました。
社会人になって一度はやってみたかったゴルフにも挑戦することができて、趣味も増えました⛳️
大学、社会人生活を過ごしていく中で、小学・中学・高校時代にカラダで体感した「カラダを動かすことの楽しさ」をどこかで感じており、割りかとカラダを使う仕事をいつの間にか選んでいたようにも今思えば感じます。
酒屋では、重たい酒樽やビール瓶を持ち鍛えながら動いていましたし、ルートセールスも重たいレンタルマットや個人向けボトルウォーターを運んでいましたので、「カラダを鍛えることや動かすことが好きだったんだ」と過去を振りかってます。

【社会人生活での生活リズムの乱れ】
社会人生活では、オン・オフを大事にし、「自分は規則正しい生活ができている」と、どこからくるかわからない変な自信を持って生活をしていましたw 週末に自宅で軽い筋トレをし、炭水化物を取らない、主食”ゆで卵”です、という「ザ・にわか健康オタク」を気取っていたら、やはりバチがあたりました。車の掃除中に背中に「ギクッ!!」と電気が走るような痛みが…世間一般でいう「ギックリ腰」ですね。「まさか自分が…」と。そして、少し安静にして、「少ししたら痛みは取れるだろう」と甘い考えで、病院にも行かず自然治癒で放置…そんな状態で、1日5時間前後の睡眠時間と、毎食コンビニ食、それはストレスも溜まり、頭痛や不眠症、ギックリ腰にもなってしまうな、感じました。そのようなタイミングで健康診断を受診し、「要検査」という診断が…ここでも「まさか自分が…」という衝撃を受けました。これは自分でも「このままいったらマズイ…どうにかしなければ」と日々”健康なカラダになるためには”と、考えるようになりました。

【祖父母の死】

そんな中、2022年10月、両親より突然の連絡が…
「母方の祖母がなくなった」との知らせを受け、その時フリーズしてしまったのを覚えてます。
私の両親は、二人とも九州の福岡県出身で、祖父母を含む親戚一同は、ほとんど福岡に住んでいます。子供のころはよく福岡へ家族へ帰省したり、祖父母が遊びにきたりと会う時間がありましたが、大人になるにつれて会う機会が減り、冠婚葬祭時に帰省するくらいでした。
会うたびに体が小さくなっていく祖母を見ていて、5年ほど前に、腎不全のため人工透析が必要となったため、入院していました。母が定期的に帰省し、面倒を見ておりましたが、同時に祖父が認知症で施設に入れなければいけない状態となり、大変な状況になっていました。祖母はみるみる痩せ細っていましたが、会うたびに「雄太、元気ね?」と声を掛けてくれてました。そんな祖母でしたが、92歳で亡くなりました。当時、なんとか仕事を調整し、福岡まで両親を向かい、お別れをすることができましたが、とても悲しく別れが辛かったです。私よりも私の母が一番辛かったと思います。
残された祖父ですが、認知症を患っていたため、施設へのお見舞い時には
祖母のことは伏せて会いにいきました。私のことは、「雄太ね!わからん…」と言い、いつもの祖父でしたが元気そうでした。
ただそれから約3ヶ月後に祖父が急変で亡くなったとの連絡がありました…
「あれだけ元気だったのに、そんなことある?」と衝撃すぎて言葉が出ませんでした…仕事の都合上、お別れができなかったのでが悔やまれますが、祖母のことを追いかけていったようにも思います。ただ、人に死は、とても悲しいことですし、いつまでも大切な人を元気で過ごしていたいとより強く想うようになりました。

【健康への覚醒】
そのような状況の中で日々過ごすコロナ禍おいて生まれた”会社員”としての将来への不安…毎日同じことの繰り返しで過ごしていく日々に、「自分はなんのために生きているのだろう…、自分の人生はなんのためにあるのだろう…」と葛藤していました。そのような中で、TWA・谷さんとの出会いが、健康指導者としてのきっかけを与えていただき、「将来、健康で笑顔で少しでも長く元気よく体を動かして長生きしたい」そんな方々に対して貢献することを決意させてくれました。

【健康増進への決断】
人生において影響を与えた出来事は少なくありません。青春時代の成功と挫折、結婚と離婚、自分自身の体の不調、健康診断結果での衝撃や祖父母の死、コロナ禍による働き方の変化、これらは私に新たな視点・考えをもたらし、そして健康への意識改革と繋がりました。

【使命感と活動の理念】
私は、健康なカラダづくり、痩せ体質専門トレーナーとして、30代から40代の方々に、「生涯現役!健康で魅力的なカラダづくり」にフォーカスをあて、体質改善の大切さを伝えています。30代男性の運動不足が年代別でワースト1位というデータを知り、毎年約5万人が運動不足で亡くなる現実。これを変えるため、運動、栄養、休養のバランスを整え、ストレスを最小限に抑えながら、将来の病気となるリスクを予防・未病につなげ、活き活きとした人生を過ごせるようサポートしています。

【より良い未来へ】
これからも自らの経験を活かし、他者に寄り添いながら成長していきます。
同世代の男性・女性の皆さん、次はあなたの番です!健康なカラダを手に入れ、笑顔で最後を迎えるために、共に歩む仲間として、お気軽にご連絡ください。

【おわりに】
私のストーリーは、葛藤と成長、そして健康への覚醒が交錯する一つの旅です。未来を見据え、健康な人生を築くための一歩を踏み出しましょう。どんな時も、あなたの健康をサポートする使命を胸に、私はこれからも精進し続けます。

【私の大好きな言葉】
Just do it!!  "とにかくやってみよう"
→ 行動あるのみですね!

“体が変われば人生が変わる”

これは、私の師匠の言葉です!
この世界で1人でも多く健康な方を増やし、笑顔溢れる人生を送っていただけるように、全力でサポートしていきます!


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最後までお読みくださり、本当にありがとうございました!
こんな方はぜひお待ちしております!

※最近運動不足で太ってしまった
※健康診断で悪い結果が出てしまった
※カラダを絞って仕事で結果を出したい
※異性からモテたい
※とにかくカラダを変えて体質改善したい
※毎日健康的なカラダで過ごしたい
※日々のパフォーマンスを向上させたい

どれかひとつでも当てはまったらお気軽に連絡ください!

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