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私のかわいい・きれい・かっこいい問題

シン・コンセプトを考えているんだけど、いまいち煮え切らない。
そういうときは基本に立ち返ると良いと聞いたので、かわいい・きれい・かっこいい問題に向き合いたいと思う。

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自分で自分に対し言うときは「いいね」とほぼ同じ意味で言っている。
他人や物に対してもかなり言っている。
使い勝手のいい言葉なんだよね。ありとあらゆる意味を持たせることができる。

ただ、他人から言われるとイラッとする。
が、一部例外もいる。というか、その例外に対しては「そうです。私があなたのかわいいです」という顔をしたい。
その一部例外が恋人とかパートナーとかだったら、話が早いがそうじゃない。
一部例外の条件は分からない。
時間を経ることで「別にかわいいじゃなくていいや」となることも大いにある。

なんていうか、痛い話なんだけど(でも絶対ありきたりな話だと思う)、一時期、瞬間的に「うちのお嬢」「うちの姫」呼びをされていることがあった。
ガチではない。ふざけて。
主に「うちらグループ」みたいな意識のある(言葉には出さない)友人たちが、外部の人間と接するとき、私をそう呼ぶ瞬間があった。
それを私はかわいい扱いと同等と認識しており、当然顔をしていた。
つまり何が言いたいのかというと、一部例外の人には積極的にかわいい扱いされたい。
かわいい扱いをされた上で当然顔をしたい。
なんてかわいくない願望だ笑

面倒臭いのが、誰にでもそうではなく本当にごく一部だけでいい。私が望む相手以外は不可不可不可。
仲の良い友達が何人かいるけど、全員じゃない、というかほぼ全員不可。
一部例外に入れられる相手の条件が分かれば、もっと楽しく生きられる気がする。

自分で自分に対し言う機会はほとんどない。
他人に対してもほぼないし、物に対してはある気がする。

クソみたいな親族関係を乗り切るときの通貨みたいな扱いをしていた。
学歴とか頭の出来とかの話題になるとズタボロにされるのが分かっていたから、年寄り連中から「あら〜きれいになって」という言葉を引き出して、話題をそこに持っていこうとしていた。
現実別に自分のことをきれいと思ってはいない。
アイツら、自分の親族の若い女に「きれいになって」という話題を振って、「いえ〜そんなことないです」という会話をしたいだけ。
そもそもそういう話題をしたい相手だから、いわゆるキレイめな格好をしていけば、誘導できる。
処世術としての「きれい」でしかないので、別の場面できれいだのなんだの話が出るとびっくりする。
本来は純粋な賞賛だった、そういえば的な驚きがある。

きれいを戦の道具として使いすぎて、自分の中でなんなのかを失ってしまっている。
それはちょっと悲しいな。

なりた〜い。自分で自分に言いたいし、他人からも言われたい。
見た目だけじゃなくて、態度とか考え方も含めたものを指して「かっこいい」と言っている気がする。

余裕がある、自分軸、社会性がある、迷いがない、潔いを絶妙なバランスで混ぜて、出来上がったのが「かっこいい」です、みたいな感じ。

見た目もこう、シャープな仕上がり。
装飾の多さは関係なく、収まるべきところに配置されている感。
散らかってない。

「かっこいい」はめちゃくちゃなりたい憧れワードだけど、「かわいい」と「きれい」より語るところが少ない。
まだ言語化できてないのかな。
かっこいいと言ったらかっこいいんだよ!で終わってしまう。

まとめ(シン・コンセプトどうしよう)
「かわいい」で出てきた願望が予想外だった。
「きれい」は今後頑張りましょう。
「かっこいい」言語化できてないのに、どう憧れてるのか。「かっこいい」で連想するものも思い浮かばなかった。
どこが引っ掛かって「なりたい!」になってるのか気になる。
「かわいい」で出てきた願望を無視せず、「かっこいい」の引っ掛かりポイントを整理した先にシン・コンセプトがあるのだろうか。
自問自答めっちゃ楽しい。

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