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アークナイツの特殊オペレーター、ミヅキの在り様

はじめに


深海にまつわるミヅキについて感じたこと、考えたことの一部をここに記録する。 

目次

  • 老人とはだれか

  • なぜ常人はミヅキの料理に嫌悪感を覚えるのか

  • ミヅキの精神の未熟性

  • なぜ海に関する者たちは海と星空の2要素を含むのか

考察

老人とはだれか

ミヅキを拾い、助けた老人がいる。その者は確実に今のミヅキの精神、身体形成に影響している。具体的にはミヅキのプロフィール第三資料、第四資料を参考。第三資料ではミヅキが老人から学んだ教えが、第四資料では老人がミヅキに行ったこととその思想について触れられている。すると、老人を知ることはミヅキを知ることに繋がると思われる。
では、老人は誰であったのか。結論から言うとイベリアの教会の一員であったと思われる。論拠はミヅキの第四資料と昇進資料にある。
第四資料には老人と思われる者の手記が綴られている。ここからいくつかの文を引用する。

そのために私はイベリアの教会を離れ、巡礼の旅に赴いた。

ミヅキのプロファイル第四資料の一部抜粋

ここから、老人はイベリアの教会に所属していたことが分かる。そしてこのイベリアの教会の目的に関して次のような記述が老人の手記にある。

我々はどうすれば、自らをより善良に、より美しく変えることができ、それらを全て振り切ることができるのだろうか。私と志を共にする同僚たちですら、見解が一致せず、各自の観点の実証のために奔走している。

この文の”それら”は文脈的に直前にある三つの要素であると思われる。

種としての生命形態が持つ弱さのせいだろうか、それとも種の個体同士で真に有効な繋がりや交流手段を持たないためか。あるいは、種の根底にある下劣な根性に基づくものなのか。

ミヅキのプロファイル第四資料の一部抜粋

ここで着目すべきは老人または教会が先民という種そのものに問題意識を抱いていると読み取れることである。個人個人のミクロの視点ではなくより種族全体のマクロな視点で考えていることは興味深い。
これらのことから老人は先民という種自体に限界を感じているために、より優れていると考える恐魚の特性を得ようとしていると考察できる。
ここで重要なことは教会の内部では先民という種からの発展を目的としており、その手段は異なるということである。実例としてグレイディーアの回想秘録「脱水症」に記載がある。

それと、なぜあなた方は源石とエーギルの身体を人為的に結合させる研究をしていますの?

グレイディーアの回想秘録「脱水症」、グレイディーアの台詞

これは具体的にはスペクターが当てはまる事例である。
一方で老人はミヅキのプロファイル第四資料より先民を恐魚に近しいものに変質させるような実験を行っており、その中で恐魚の性質に押しつぶされなかったものがミヅキであると分かる。
老人の実験のなかで恐魚の性質に押しつぶされたものは、ミヅキのプロファイル昇進資料より恐魚となったことが分かる。ここで着目すべきは老人は恐魚となった実験例を成功と見なしていないことである。そこで老人の手記の二文から老人の価値観を推測する。

彼ら「自身」がより良くなったと、果たして言えるのだろうか?

ミヅキのプロファイル第四資料より一部抜粋

自身の意志と執着によって勝利をもぎ取り、より良い「自分」となる者が。

ミズキのプロファイル第四資料より一部抜粋

前者の文が恐魚に変化した者に対する評価、後者の文がミヅキに対する評価である。私は老人が「自身」「自分」を強調していることに着目する。老人は種族としての先民に限界を感じつつも、恐魚のように生存本能のみに従い、明確な自意識を持たない存在を是としてはいないのではないだろうか。次の文がそれを象徴している。

しかし多くの場合、本能に従うだけでは真の強さは得られない。

ミヅキのプロファイル第四資料より一部抜粋

つまり、老人は恐魚の種族としての強靭性、生命力を評価しつつも先民が個人で持つ意思も尊重していると考えられる。

では、これらのことからミヅキについて考えよう。老人がミヅキに与えた影響はいくつかあるが今回はその中でも老人の教えと恐魚の種族としての効率性を受け継いだミヅキについて触れていきたい。

まず老人の教えについて、ミヅキは次のように述べている。

よそからは良いところを身に付けて、自分が持っていた悪いところを切り捨てることによって、より良い自分になるべきだ。

ミヅキのプロファイル第三資料より一部抜粋

これは恐魚の良いところを先民に身に付けさせて、同時に先民の悪いところを切り捨てさせようとした老人の体験が背景にある。また、これはイベリアの教会の目的に通ずるものを持ち、ミヅキはこれに強い影響を受けている。実際に、ミヅキは自分なりに悪を定義し、それに準じる”悪い人”を改心させるのではなく排除することにより”良い人”を守り、そこから良いところをお互いに学び取るという方法を取っている。

次に恐魚の種族の効率性を受け継いだミヅキについて考える。ミヅキは彼独自の悪の定義を持つ。そして、ミヅキは悪人に関して次のような所感を述べている。

正義感?いや、ドクターは誤解してるよ。僕は別に悪人をなんとも思っていないよ。でもみんなは、色々事情があって悪人に手を焼かされてるんでしょ?そんな時に悪人を消してあげれば……誰も困らないし、みんなホッとするでしょ?

ミヅキのボイス昇進後会話1

ここで着目するはミヅキは情緒、感情によるものでなく不都合であるという理由で悪人を排除する点である。これは恐魚の生存本能による外敵の排除に類するものによるのではないかと考える。また、集団の中で不都合なものを積極的に排除する点では一種の効率性を持つのではないかと思う。
ただ、これは後述するミヅキの未熟にも原因があると思われる。


なぜ常人はミヅキの料理に嫌悪感を覚えるのか

ミヅキのプロフィール第二資料よりミヅキの料理について、過程は完璧だが完成品が残存する生命力で蠢いているようで手を伸ばすことが出来ないという評価を得ている。これはミヅキの身体的機能も要因にあろうが、より重要となるのはその思想である。

なぜ、ミヅキはこのような料理を作るのか。この問の答えとしてミヅキの生命観が考えられる。ミヅキは昇進資料より単純な生存本能か何かによって強靭な精神力を持つと評価されている。ここで特筆すべきはミヅキの単純な生存本能にある。このことを踏まえるとミヅキの食事への執着の理由も見えてくる。つまり、強い生存本能を持つミヅキにとって食事は生命を維持するための栄養補給の面が多分にあるということである。そのために、ミヅキの料理は食べやすさや見た目などではなく、如何に効率的に栄養を補充できるか。生存に必要なものを効率的に摂取できるかを重視することとなる。

一方で常人にとってその料理がどのように見えるのかを考えていく。大抵の人は料理を効率的な栄養摂取の手段だけとして考えはしない。見た目にこだわり、味にこだわり、時にはその芸術性も追求する。そのような人々にとってミヅキの料理はどう見えるのか。

代表例としてグレイディーアを考えてみよう。グレイディーアは人の文化を重んじる性格をしており、それは特に昇進後会話2に表れている。これはグレイディーアの身体的特徴に影響を受けていると思われる。アビサルハンターたちは恐魚の性質と血を受け継いでいる。そのため、驚異的な身体能力を持つ。だが、彼らの精神はおよそ恐魚とはかけ離れたものである。彼女らは優れた情緒と感性をもつ人である。そのような彼女らにとって恐魚の本能は忌むべきものであり、受け入れ難いものである。それは特にイベント潮汐の下SV-8のシナリオに表れている。ここではグレイディーアがシーボーンを侮蔑しているが、それはシーボーンの主体性の無さ、感情を知らず情緒を持たないことに起因する。

しかし、グレイディーアもまたそれの同族であることは否定できない。如何に精神の有り様が異なろうとも身体は絶対に精神を変容させる。常人であろうとも体調が悪ければ気持ちは陰気となるような心身の相互関係がある。そのような彼女らにとって本能とは恐魚を強く意識させるものであろう。なぜなら、恐魚は本能のみに基づいて行動するからである。そのために、グレイディーアは文化を、芸術を尊ぶ。彼女にとって人の文化的側面は恐魚とアビサルハンターを絶対に区別するものになり得るからである。つまり、彼女は人の文化を用いることで己の本能、獣性をひた隠しにするのである。これができるからこそ、彼女は恐魚と言いきれないのである。

このことは常人にも言える。常人が生物である限り、グレイディーアほど顕著でなくとも本能を曝け出すことはしない。それが人の文化的発達に繋がる。

これらを踏まえると、ミヅキの料理は常に人が覆いをかけている本能というものを前面に曝け出しているからこそ、見る人に嫌悪や忌避感を与えると考えられる。


ミヅキの精神の未熟性 

ミヅキの精神の有り様について考える。彼の精神の特徴としてわかりやすいものは食への関心がある。この食欲の比重が非常に大きいことからマズローの欲求5段階説を用いる。この説によると人の持つ欲求の最優先事項は生理的欲求にあり、人はこれを満たさない限り上位の欲求を満たすことは不可能であるとある。ミヅキの異常な食欲(生理的欲求)は社会的生物である人から考えるに稀有であり、欲求の段階として原始的であることが分かる。
ここでフロイトの性発達段階理論も並行して考える。ミヅキの関心は食、つまりは口を用いるものに向いている。このことからフロイトの理論より口唇期のようなものにミヅキはあると考えられる。
これら二つのことからミヅキの精神構造は社会経験の乏しい赤子のようなものと考察できる。


なぜ海に関する者たちは海と星空の2要素を含むのか

ミヅキ、グレイディーア(アビサル)、深海教会の一員と思われるミヅキの養育者などの深海に関わる者たちはしばしば”星空”という言葉を使う。例としてはミヅキのボイス会話1やグレイディーアのボイス昇進後会話2などがある。

グルメ、マンガ、ゲーム、そしてそれを創り出す人たち、みーんな星空の下に散らばる詩なんだ。僕の旅の目的は、そういうものを全部味わうこと——そして、それを邪魔するものを片付けることだよ。

ミヅキのボイス、会話1

表現はすべての人がこの星空の下で生きた証なのだから。人々の意思はそうして形を変えて生き続けるの。さあ、踊りましょう。

グレイディーアのボイス、昇進後会話2の一部抜粋

ここでの”星空”という言葉の意味としては世の中、世界といったものになる。では、なぜわざわざ星空という言葉を用いるのか。ここで私は深海の者たちにとっての生命の重要性に着目した。恐魚は地上生物と比較して高い生命力を持つ。深海に関わる者たちは時にそれを嫌悪し、憧憬し、恩恵を得る。このことから彼らにとって生命という記号は恐魚を象徴する側面を持ち、力の根源でもあり破滅の原因でもあると考える。
ここで海と星空の関係性だが、どちらも生命の根源とする説があるという点で共通項をもつ。
海を生命の根源とする説はより具体的にいうのであれば地下生物系の発見のことである。詳細は省くが地下で生じる反応系が生命の生成に起因する可能性があるということやバクテリアの約70%が地下に存在したことに基づく。
一方で星空を生命の起源とする説はパンスペルミア説のことを指す。これはマーチソン隕石の内部からLアミノ酸が多量発見されたことに基づく。地球上の生物はすべてLアミノ酸で構成されていて、Rアミノ酸は紫外線に弱い。そのため天体に存在するアミノ酸は星の誕生時の紫外線でRアミノ酸が破壊される。そのため、Rアミノ酸がほぼ無くなった小天体に存在するLアミノ酸が生物の始まりとする説である。
これらから、深海に関わるものたちが海と星空という言葉を用いる理由として彼らにとって生命という記号が重要な意味をもち、それらの根源が海と星空の両方にある可能性を持つためと考える。





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