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私の日常を覗きませんか?

初めまして、人垂です。

私がnoteを始めるに至った経緯を記していこうと思います。



私の脳内ではいつも言葉や思考が点々と彷徨っています。それらが洪水のように流れることもあれば、せせらぎのようにゆるやかに流れていることもあります。

後者のように緩く言葉が在るときはあまり問題はないのですが、前者のように大量の言葉、そして時には大きな感情が私に襲い掛かってくることがあります。つまり情報が整理しきれないのです。こうなった場合私の思考は淀みに淀み、酷く自分を責めるようになる傾向にあります。

子供のころから「考える」癖があり、年を重ねるにつれて思考のベクトルが徐々に悪い方向へ向かっていき、先日とうとう(軽度の)うつ病と診断されました。

私としては「まあそうだろうな」程度の感想しか抱かなかったのですが昔から希死念慮を抱き続けてきているということもあり、自分の存在価値や生きる意味を十分に見出すことができずに生きてきました。そして今もまだその疑問を抱いています。

そんな私ですが、大学生になってからボードゲームにハマるようになりました。ボードゲームと言ってもトランプや人生ゲームのようなボードゲームに興味がないような人たちでも知っているようなものではなく、ニムトやゴキブリポーカーのように少しは関心がないと知ることのないようなゲームを指します。

ボードゲームで遊ぶ回数が増えるにつれて私は「ボードゲームを自分で作ってみたい」と思うようになりました。しかし、そう簡単に作ることはできません。なぜなら「作る」ことが面倒くさいからです。

何をコイツは言っているのだろうか。簡単な話です。アイデアは思いつくし、実際にノートに描いてルールも考えて大体の枠組みはできています。しかしそれを実際に紙などを用いて試作品に仕立て上げることがこの上なく面倒くさいのです。だからといっていつまでも作らないでおくわけにもいかないのですが…

話が少し反れました。とにかく私はボードゲームのアイデアを閃くために日常の些細なこと、ありきたりなことや既存のものに着目するようになりました。例えば横断歩道であれば、子供のころ白線しか踏んではいけないみたいなゲームをしたことがあると思います。そこから「○○をしてはいけない」のように別の言葉に置き換え、さらにそこに別のアイデアを融合させる。このように私はゲームのアイデアを練っています。

そしてこのように日常に対して別の目線を向けながら生きていると「そういえば○○とはなんだろう」と疑問が生じるようになります。

これはネットで調べればすぐに分かることである場合もあれば、そうではなく自分の中で勝手に解釈、再解釈を試みることもあります。

というわけでこのnoteでは後者のように自分の中でふと疑問に感じた所謂曖昧なことに対して自分なりに解釈をしたことを記していこうと思います。

言ってしまえば暇つぶしです。でもその一方で私の考えに対して賛成であれ反対であれ意見があれば知りたいのも確かです。そして誰かに私という人間がいるということを知ってほしい。

私の書くnoteが一人でも多くに届き、一人でも多く「考える」機会を得てくれれば幸いです。



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