見出し画像

そのラスボスは反出生主義者じゃないだろ・それでも生殖を選んだ『相思相愛ロリータ』

こないだ某作品のラスボスが反出生主義だみたいな言説が流れてきて、そのラスボスは世界のあらゆる苦痛をゼロにするために全生命を滅ぼそうとしてるんだけど、
「あくまで反出生主義は出生がとんでもない苦痛を生み出すかもしれない営みで人権侵害だってことにフォーカスしていて、それは人権が絶対に守られるべきって考えの先にある思想だから既に生まれてる人を殺すのは違うよね。その作品を例に考えるなら反出生主義っていうのは「ラスボスに突然殺されてしまうくらいなら最初から生まれない方がいいんじゃない?」って側なのよ。殺されることも不幸だと捉えてるわけ。可能性という人の手に余るものを放棄しようとしてんの。既に発生した苦しみへの対処は扱ってないんだわ。てかオタクって反出生主義の話するの好きな割に結構曖昧な定義で語ってない?」とピキってしまったので反出生主義語りとついでにこの件で思い出したエロゲを再プレイしました。


はじめに

実際に反出生を掲げている人間の間でも捉え方にグラデーションのある概念ではあると思う。
例えば自分自身は反出生に同意しているが他人にその考えを押し付けないという人もいれば、
生殖は絶対悪なので他人が生殖をしないように啓蒙活動に勤しんでいるという人もいるかもしれない。
要はベジタリアンやヴィーガンにとっての「肉を食べない」を「生殖をしない」に置き換えているものだと考えればわかりやすいと思う。
ヴィーガンと違うのは、
精神的に追い込まれている人の理論武装に利用されやすいことだろう。
代替食品に滅茶苦茶金のかかるヴィーガンに比べて反出生主義は関連した本を読まなくても名乗れるので非常に経済的でもある。

私自身はどうなのかというと反出生主義を名乗れるような段階では無く、
ただ単に自分が家庭を持つのは色々と無理があると思っているだけだ。
このようなインセルの自己弁護にもよく反出生は利用されるね。
(他人だけ殴るのは不公平なので自分も殴っておく。)
しかし人間の寿命がアホほど伸びているこの時代、
一生独身とは大いなる闇である。
この闇に向かっていくには、
反出生主義でないにせよ自分の諦念に対する確信が必要で、
それはやはり、出生の否定につながるのかもしれない。

反出生主義に近い考えや、結果的に反出生を実行しそうな人間なら生というものについて深く考えるべきだ。
幼少期の写真でも眺めながら自身のルーツに思いを馳せればいい。
私は色々あって出入り禁止になった生家にそういうアイテムを全部置いてきてしまったので無理ですが。
さて、ここからは出生の礼賛と否定双方の視点をもつエロゲ『相思相愛ロリータ』の話をしていくぞ。

ちなみに

https://0dt.org/vhem/

私の反出生主義関連の知識は大体このサイトから得ている。
後半の方は論理の破綻が結構見られるけど、これでもインターネットの転がってるものの中ではフラットに書いてある方だし、読み物としてはそこそこ良くできてると思う。

あと、個人的にラウ・ル・クルーゼを指して反出生主義というのも違うと思うんだよね。あれは八つ当りで人類滅ぼそうとしてるだけだし、最終回のレスバは仮に自分が敗れたとしてもスーパーコーディネイターであるキラが優れていただけに過ぎないという「クルーゼ死すとも優性思想は死せず」な置き論破に持っていこうとしている形なので。
反出生主義的敵キャラというと、うちはオビトの方が正確なのではないでしょうか。
閑話休題。

『相思相愛ロリータ』


サラリーマンの丘くんとまこちゃんは毎朝同じ電車に乗り合わせるのをきっかけに仲良くなる。

周りの目とか事案とか絶対大丈夫じゃないシーンが多いんだけどなんか許されてる。
まこちゃんは父子家庭なのだが何故か児童養護施設で暮らしており(私生児とかですか?)、その影響からか愛着障害的な言動が多数みられる。
奉仕によって自分の存在を認められたがるのが完全にそう。
ちなみに養護施設の人も相当おかしくて丘くんが電話であいさつした時のやり取りがこれ。

多分倫理観が私の棲む世界とはだいぶ違ってますね。

二人が関係を結ぶまでの過程で特筆する点は特にない。
幼児にバブみを感じてオギャる系のエロシーンが多いからそういうのが好きな人はいいかもしれない。
私が気に入っているのは、
後半にかけての展開が「出生ってなんだろう」と思わずにいられないものだからだ。
何を隠そう、夜のひつじのロリータシリーズはヒロインが妊娠するのがお約束なのだ。
まこの不幸な生い立ち、早すぎる妊娠、
客観的に絶望的な状況下と対照的に幸福そうな二人……。
賢者モードであれば尚の事胃が痛くなるのではないだろうか。

単純に孕ませ要素のあるだけなら抜きゲー的な荒唐無稽さとして受け流す方が正しい鑑賞の仕方なのだが、
本作ではまこの特殊な家庭環境というエッセンスがあるために、
「誕生を祝福されなかった存在が自ら子をなし祝福を与えることで自分の人生を肯定する」という、
長大なテーマ性のようなものも感じられるようになっており、この点は他のロリータシリーズとはやや一線を画すものがあるように感じる。
ユーザーは最大限の幸福のために生殖を選んだ彼らと、
大いなる受難のもとに生まれるであろう赤子の間で板挟みになる。
き、気持ちいい~~~~~~~。
孕ませという究極の出生礼賛装置によって、
幸福と苦痛が同時に存在するグロテスクな有り様を克明に映し出している。
子作りを決意する場面が年齢差を無視さえすれば恋愛のワンシーンとして感動的な感じだから余計にグロさが際立つんだ。

惜しむらくは想定される年齢に対してまこの知能が高すぎて人間離れしている点か。神さまみたいな女児がいいならアリだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?