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自分を見てくれる人

私には2歳上の姉がいた。
もう亡くなって15年になる。

姉は皆に好かれた。
私は姉の存在が眩しかった。姉が、人気があるのは当然だったし、自分は姉の陰にいるのが当たり前だった。

ところが、父が亡くなって、親戚が集まったとき、多くの親戚は姉の周りにいて、相変わらず人気があったが、一人だけ、ずっと私の側を離れない人がいた。古い写真を見ても、私の側でニコニコして、肩を抱いてくれてたお姉さん。後で従姉妹と知った。ボーッとしてる私を可愛いと言ってくれてたらしい。私は人に好かれないと思っていたが、そのことを思い出すと…
そうなんだ、一人の人に好かれていたんだと温かい気持になる。

たくさんの人に好かれなくても、一人だけでいいんだ。自分を理解してくれる人、誰かはいるはずだ。それをどこか忘れてる。

人は、自分に向いてくれない人に目が、いきがちになる。
私も追いかけた時があった。
でも、結局は虚しいんだね。

自分を見てくれる人のために生きなくっちゃ。
そして、その人にお返しするためにも、今度は自分が誰かを、見つめてあげよう。

そしてその輪が広がったらいいな。

恩返しではなく、恩送りをする

と、下仁田納豆の社長が言ってた。この方も一人の人のお陰で、商売の危機を脱した人だ。皆にそっぽを向かれても、その人だけは暖かく見守ってくれた。その人とは、今は百貨店に並ぶ有名な豆腐店(三之助豆腐)の主人だが、この人もある一人の農家の人によって、救われた。だから自分も、困った若者がいたら、応援しようと、決めていたらしい。そして、潰れかけた納豆店の再起に一生懸命だった彼を、得にもならないことをして、ずっと支えたのだ。
素晴らしい感謝の連鎖、恩送りですね。

一人の人の力は尊い。

因みに姉は短い一生だった。その宿命がわかっていて、神様は姉の半生を、皆さんに愛されるという、プレゼントを贈ったかも知れない。

自分が苦しんでいる最中に、他の人が輝いて見えるかもしれない。でもその先は誰もわからない。ただ時間のずれがあるだけ。その人だっていつか苦しむ時があるかもしれないのだ。私の姉のように。

ヘッダーの絵は、私の中の思い出の、姉の似顔絵を描いてみた。いつもニコニコして、愛嬌のある人だった。


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