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パリ ゲイ術体験記 vol.28「日本語忘れました」

自分の周りの友達を眺めてみると、外国語に長けている日本人のなんと多いことか。
「そういう貴方もパリでフランス語を操っているのだから同じでしょ?」と日本に行くと言われるけれど、その国にある程度住んでみれば必要に迫られるので、自然となんとか少しは話すようにはなる。
語学センスに乏しい私は、今の記憶にあるだけの少ない数の単語をやたら回転させて使っているだけで、長い滞在年数に比例せず相変わらずの下手くそなフランス語を喋って暮らしている。
対話で自分の考えや感情を理解してもらいたいという姿勢に欠けている上に、たとえ上等に喋ってフランス人に語ったところで何が解ってもらえるか?と口を閉ざすシラケ人間の性格も語学上達の妨げになっているのは確実である。

私と同じ雪国出身のY君はパリでの同胞人同業者のひとりで、音楽院の学生時代からの知り合いである。
もともとデリケートな性格だった彼は、しのぎを削るパリの恐い日本人音楽家コミュニティ(おもに女子、特にピアニスト)から我が身を守るために全ての日本人との疎遠を極める事にした。同じ立場にいる身として、その気持ちは痛いほどよーくわかる。
彼を攻撃し追い込むような人間関係のせいで次第に塞ぎ込むようになり、以後突如として10年間ほどパリの小さな音楽家社会から姿を消した。
後に知った事だが、その10年間は日本人との交友関係を絶って、まったく日本にも帰らず日本語の会話を一切口にしなかったらしいのだ。

ちょうど10数年が過ぎた頃のこと、ある知人宅のパーティーで偶然にY君と再会したのだが、私はそれが彼だとはわからなかった。
以前のような色白の華奢で少し病的な神経質さは消え去っていて、むしろ太陽の下で野生として育ちました..的な色黒のオッサンに変貌していたからY君だと知って驚いた。
そして、会話を交わしてみてこれまたビックリ。
正しい日本語をほとんど話さないというか話せなくなっていたのである。
懐かしがっているY君は私のことを「タマ子さん」だの「タマ美ちゃん」などと毎回違った名前で話しかけてくるので「何故に子とか美とかの女性名にするの?」と尋ねれば「××タマ子さんはオカマだからそうやって呼ばないと世間の人は変態だって判りにくいでしょー」と言う。
そういうお前さんだって同じ穴のムジナのくせに..
まず、そんな事を赤の他人に判ってもらう必要があるかと言いたい。多少性格が変なのは相変わらずだった。

いつだか日本に一時帰国する際の飛行機が同じで隣り合わせになった事があったが、その時もおかしな事を言っていた。
CAさんをつかまえて「あのー、僕そろそろ脱税したいんですけど..」と言ってCAさんをキョトンとさせている。彼のセリフを正しく翻訳すると「免税品の販売はまだですか?」である。

彼はもともと国語力が高くなかった上に、漢字にも弱かったらしい。
Y君は日本の音楽大学時代に仲良しのピアノ科女子と会う際は、町の某ガソリンスタンドの前で待ち合わせをしていた。
彼女はそのスタンドを「デビカリ」とよんでいたらしく、Y君は彼女を見下していた。
しかし、Y君が「あらいやだ、まだデビカリだなんて言ってる。違いますよ恥知らず!それはシュッコウと読むんですよ」と彼女をなじったら、傍でその会話のやりとりを聞いていた不良青年グループに「バカ二人」と笑われて、初めてそれがシュッコウでないことを知ったのであった。
確かに「出光」を「イデミツ」と読むのは少し特殊かも知れないが、まあ誰もが知っている一般社会知識レベルの話である。
「のりタマ子さんはイデミツと昔から読めてましたかー?」と聞くので「そんなの小学校に入った頃から知ってたけど」と言えば、「あらやだ、そんな風に見えても意外な博識さ!見かけと違うインテリおかま!ピアノも弾ける漢字博士じゃないですかー」. . . 

10年間日本語を話さなかった最後の年、日本の父上が亡くなられたので帰国して葬式のために雪国の実家に行った時の話をしてくれた。
亡くなった人の長男だというのに、町内から来てる焼香の人達用の受付テントの列に並んで香典を渡すのを待っていたら「父親に会いにきた息子がなんでこんなところに!棺桶に入ってしまった親の顔も真っ先に見にいかないで!」となじられた。
その上、Y君は香典という単語自体を忘れ去っていたので、黒白の香典袋に「お年玉」と書き入れて渡してしまい「親を馬鹿にするにもほどがある!」と葬式後に親戚一同から袋叩きにあったのだそうである。

今もフランス語よりも日本語の方が全然ましな私でさえ、漢字熟語が入れ替わったりする小事故はたまにある。
「根拠を出して」がキョコンを出して、「婚姻届」がインコン届け…くらいの軽度の症状で。
だけどY君級になると、元に戻すのはなかなか大変そうに見える。
最近外食に誘った時も「この週末はうちのオットが行方不明になるらしいから、僕は一人で自宅の見張り番をさせられるんだべ。強姦..じゃなくて強盗に入られないように。だから、タマ子ちゃんからの珍しい誘拐にまどわされなくて残念無念」とか言っていた。
まあ、言わんとする内容は大体はわかりますけれども…

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