見出し画像

パリ ゲイ術体験記 vol.32 「貧乏中華」

テレビ番組や雑誌のパリ特集などを見ていると、パリにはお洒落でセンスがよく美味しいレストランばかりがあるように勘違いしてしまう人も多いのではなかろうか?
一部のフランス人が、日本人は毎日ヤキトリと寿司だけを食べていると思い込んでいるように。

パリの中心地にあるポンピドゥー•センターから北に少し歩いたマレ地区の一角に、小さな中華街がある。どの店も安くて、雰囲気はレストランと呼ぶよりも雑然とした食堂と言った方がぴったりな店ばかり。
あちこちの看板には"温州なんとか.."と書いてあるから、きっと中国は温州地方出身の人が集まってできているのだろう。

Beaubourg(ボブール)の大通りから一つ路地に入ったすぐの1軒目のレストランが"貧乏中華"である。略してビンチュー。
正しくは勿論そんな変な店名ではないけれど、実のところ私達仲間の間で本当の店の名前を知ってる人は多分誰もいない。
雑多な雰囲気と餃子1個と白ご飯1杯だけでも食べられたりする安さから自然とこのアダ名がついてしまい「今日は軽くざくっとビンチューにする?」で皆に通じている。

ある日のこと何気なくテレビを見ていたら、画面の中に貧乏中華らしき食堂といつもの店員さんが隠しカメラでのモザイク入りで出ているのが目に入ってきた。
フランス国営放送のドキュメンタリー番組で、タイトルはなんと「ショック!不潔極まるパリの飲食店」であった。
番組は、貧乏中華などのその辺りの中華食堂に納める手作り餃子を作っている中国人不法移民の個人宅での様子などを撮っていた。

見るからに垢だらけの黄ばんだバスタブに大量の豚ミンチや細切れ野菜を放り込んで、ステテコをはいたおじさんが、これまた見るからに汚そうな素足で具材を踏んづけて捏ねている映像が …
バスタブに放置されたミンチ肉の真上には、おじさん一家のものであろう洗濯物が干されていて、その吊るしたパンツや靴下から滴る水滴がミンチ肉めがけて落ちていて潤いを与えている。
そのミンチダネで作った大量の餃子を納品している所が、この貧乏中華をはじめとする界隈の中華街だったのだ。
映像を眺めながら、自分の体温が下がっていくのを感じていた。

私は貧乏中華での食事の帰りにお腹を壊す事がたまにあったのだが、ニンニクの刺激でやられたのかも?と思い込んでいたけれど、それはまさに不潔さの賜物だった事が証明されたも同然である。
この番組の放映の直後から半年間くらいシャッターを閉めて休んでいたのは、たぶん保健所だか警察の手入れがあったものと思われる。

この店にまつわる個人的な事件がもう一つあって、それは私がここで夕食を食べていた時にレストラン強盗に遇ったことである。
その時、私はフランス人の友人と店の奥で餃子とラーメンを食べていたが、目出し帽を被った二人組が店に入ってきたなと思ったら、テレビのリモコンを客に向けて振り回している様子。
パリには日常的に変な行動をする人間がいっぱいいるので、その時点ではまたその種の人間だと思って気にもかけてなかった。

「この店、テレビが無いのに何やってんだろうね。新しくテレビを置いたのかな~?」と私が中腰で立ってテレビを探しだしたら、友人が「のりタマ君、お、お願いします… どうぞお座り下さい」などと、ビビると急に丁寧語に変わってしまう彼のセリフもしどろもどろである。
これは何か変だな …と彼の顔を見直せば、色黒顔がブルーに変色しきっている。
そして、ガヤガヤとうるさかった店内も急にシーンとなっている。
なんとテレビのリモコンだとばかり思っていた代物はピストルで、テレビを探そうと店でキョロキョロ動いている私に向けて銃口が向いていたのである。

私は固まるように着席して、なかなかのショックのせいでまだ残っている目の前のラーメンにも手を出せず、冷めていくのを見つめてるしかなかった。
そして強盗二人組は、店の主人であるお姉さんを押し倒してレジの現金を奪ってさっさと出ていった。
「やられちゃったわー。アハハ」と不自然にヘラヘラしていた店のお姉さんだが、客のひとりが席を立って「お姉さん大丈夫ですか?」と声をかけたと同時に床に倒れ込んで大声で泣き出したのだった。

レストラン強盗というと、店側よりも客を拘束して縛り上げたりして身に付けている貴金属や現金などを盗むのが普通だと思うが、ここを襲った犯人は狭い場所でひしめく50人程の客を二人だけでこなすのは無理と判断したか、はたまたこんな食堂で食べてるのは貧乏人が絶対多数だから高級品など身にまとっているワケがないとも判断したに違いない。
店はこんな強盗事件やら隠し撮りでの屈辱のテレビ出演にも関わらず、それから20年近く経った今でも食事時には入店を待つ列ができる程の大繁盛ぶりである。
これが日本だったら、人々の噂で客足が落ちてさっさと閉店に追い込まれたりするのだろうけれど、さすがは華僑さん強し。

いまだに友人から「ビンチューしよう」と誘われる事があるので、自分の脳裏にある過去のおぞましい記憶に蓋をして、密かに正露丸を鞄にしのばせて食べにでかけたりもしている。
メジャーなチャイナタウンもいいけれど、財布にも優しいこの辺りの中華街も好奇心旺盛な方にはなかなかオツな場所ですぞ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?