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パリ ゲイ術体験記 vol.9「怒涛のコロナ渦日本帰国 いざ入国の巻き」


長いフライトの飛行機から降りた羽田空港。
そこの光景は、アウシュビッツに着いたばかりのユダヤ人が、収監される棟の選別のために並ばされていた行列の記録写真を連想させた。

「コロナ危険地域圏からの入国」と印刷され黄色や赤色に危険度区別された大きな札を首から垂らされて、「はーい、札がちゃんと見えるように掛けて」
と言われながら、牛の行列みたいにノロノロ歩かされる。 これだけで、疲れているところに罰ゲームを受けているか、罪を犯しているような気分になる。

まずは、入国に必要な山のような個人的情報と書類を、一人ずつ面談で確認される作業。
その中には、日本国内での携帯電話がない人は、国指定の1社だけから、その場で2週間契約させられる。母は携帯を使うと頭痛がするので何年も持っていない旨を伝えると、「どうしても借りたくないなら、入国させませんよ!」と吠えながら飛んできた厚労省だか外務省だかの女性職員。
(げっ、こんなパリ女みたいなのが日本にもいるの?! 普段からパリ女嫌いを公表している私だが、お前さんもか日本の婦女子よ!の気分になる)
ひたすら説明と抗議を続ける私に腹をたてたのか、「空港医師を呼ぶから、そんな理由が通るのか診断してもらいなさい」と、車椅子に乗ってぐったりしている老婆を一瞥しても、1時間さらに待たせる。
ようやくそこに、また怪しそうな女医が登場して母の話を聞くのだが、携帯電話でそんな症状は起こらないので借りるべしの一点張り。
だんだん、暴力団の事務所に拉致されてゆすられているような感覚になってくる。
国と癒着してそうな強引なセールスに負けて、携帯電話2週間の契約金¥15000をむしり取られる事に。
この高級携帯電話、居所追跡のためにセンターから毎日かかってくるだけで、個人通話は使えないようにしてある役立たず物。
ここまでで、飛行機を降りて既に4時間以上が経過。

その後に到着時のPCR検査場に出向いて、壁に貼られたレモンと梅干しの写真の前に立ち、それを見つめながら唾液を試験管に貯める作業に専念する。
無理に出そうとすると、なかなか出てこない唾液を絞り出して提出すれば、「泡だらけの唾液だからダメです。最初からやり直して下さい」と鬼畜のよう。
検査結果が出るまでに数時間を費やす間、てんこ盛りの書類を抱えた我々は、体育館みたいな広さの書類確認ゾーンに移動して、数多のチェックポイントを再び牛のように廻らされる。
ようやく検査結果受け渡し場にて、おめでとうございますと「陰性」の通知を受け取り、ようやく日本入国と相成ったのだが、飛行機が着陸してから10時間後の事である。パリの住まいを出てからは、30時間にも及んだ。

結果が陰性でも、国が用意した施設に3泊する決まりになっていて、運悪く陽性だった場合は陰性になるまで最低7泊させられる。
陰性者の一行は待機しているバスに乗り込んだが、そのバスのすごいこと!
大型バスには、密を避けるために人数スカスカの状態で運ばれるが、座席は隅々までビニールラッピングされ、窓には内部が見えないように黒い紙が貼られている。
まるで、凶悪犯の護送じゃないのー!
その護送先は、我々は両国の日本中にある大型チェーンの高層ホテルだったが、そこでの待遇は、自分たちが日本にいる事を疑いたくなるようなもので、
羽田空港がアウシュビッツならば、このAホテルは北朝鮮風というしかない。

お決まり事..
1. 部屋に入ったら、4日後に再びあるPCR検査で陰
   性が確定するまでは、部屋から一切出れない。
2. 各階には監視のおっさんが立っていて、部屋の        ドアを開けて様子を伺えば、閉めろと怒鳴られ        る。
3. アルコール類の摂取は禁止。
4. 家族からなど外部からの差し入れは可能だが、      生ものやアルコールが入っていないかの検閲あ       り。
5.  冷たい弁当配布の1時間程まえに大音響の館内 
     放送があり、弁当の用意中であるから配り終わ
     る指示があるまで、ドアを開けてはならない旨        のうるさい注意がある。

まだ4日間だから我慢ができるけれど、自由でそこ
そこ豊かな暮らしの中では、こういう不便や窮屈さは特に際立ってくる。

ちょうどその頃、隣にある日本武道館では大相撲が開幕中で、檜太鼓の音がホテルの部屋にも聞こえてくる。
相撲に興味がない私でさえ、狭い部屋から身動きできない退屈さを打開するのに、テレビの相撲中継をつけてみたりする。
我が母は、圧迫感で思考がおかしくなったのか、
「隣が武道館だというのに、折角のお相撲をテレビで観るなんてのは勿体ない話だから、あなたフロントに掛け合って相撲観賞に隣まで2-3時間出させてくれるよう交渉なさい」などと、とぼけた事を言っている。
部屋のドアを開けただけで睨まれるというのに …

こんな時の数少ない楽しみは弁当配給なのだが、初回の弁当で打ち負かされた。
冷たいのは仕方ないとしても、ドアノブに斜めに掛けられたビニール袋の中の弁当は、ひとくち分入った杏仁豆腐のシロップがご飯に流れて、甘いベトベトの白米を食べるしかない。
毎食のおかずも、味覚障害の調理人が用意したような品ばかりで、たぶん中流クラスの飼い猫ならば食べずに跨いでいくに違いない。

この情報社会にいると、他所のホテルに割り当てられた人達の状況なども知ることができるから、偵察目的でネットを覗いてみる。
思わず「えーっ、ちゃんとしてるではないかー!」
と叫んでしまった。
昼から浅草今半の牛肉重が振る舞われているホテルがあったりして、滞在者は「豪華で涙がでる」なんてコメントしている。
弁当とは別に、カップのインスタント味噌汁とサラダがついていて、ペットボトルのお茶とジュースも添えられている。空腹時の為にと、カップ麺なども支給されているとのこと。
なのに、うちのAホテルはなんだ!毎回小さな水のボトルだけで、お茶もジュースも一度も出てこなかったではないの。
おまけに、部屋に備わっている2回分の粉末緑茶をすぐに消費したので追加して欲しいと電話で頼めば、会議にかけて判断しますとの返事。
なにそれっ!ここは監獄かっ!

国は1人1食について3500円の予算を出していると聞いているのに、実際は何処のコンビニでも見かけないような貧相極まりない弁当。推定価格は、どう見ても200円いくかどうか。
ホテルによって格差がこんなに違うのは、私達が滞在するホテルが国から出た予算をピンはねしているに違いない…と予測する。
食べ物の恨みは根深くて、帰り際にホテルを出た時に、玄関先に不気味にデカデカと飾られているポスターの女社長の顔を見つけて「この儲け主義の搾取ババア!帽子を脱いでお辞儀でもしておけーっ」と、言わずもがなの事を口走ってしまう…

4日目にホテルで最終のPCR検査を終えて、ようやく解放の途に。
再び護送バスに乗せられ、なぜか羽田空港に送られての解散。ホテルから徒歩5分で帰宅できる人がいたのに、「決まりは決まり」と強引にバスに乗せられてしまうお気の毒なご近所さん…
最近の日本って、ずいぶん変になってしまったと感じるが、どれもこれもコロナのせいなのだろうか。




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