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31 ことばは時には凶器にもなる

悲しいことに遭遇した時、家族や友人の温かい言葉で気持ちが楽になることがあります。辛い時に友人のさりげない一言で心が癒されることもあります。羽毛のように人の心を優しく包んでくれる温かさが言葉にはあります。その 一方で言葉は凶器にもなることもあります。

ある年、生徒たちのことですごく気になることがありました。それは彼らの口から発せられる言葉です。人を揶揄する言葉、あざけるような言葉、心に突き刺さるとげのある言葉、差別や偏見を感じさせる言葉など耳を覆いたくなる言葉がたびたび耳に入ってきたのです。「バカじゃねーの」「まぬけ」「くせー(臭い)」「死ね」など何度も耳にしました。バカにしてつけたあだ名もそれに含まれます。男女共に見られましたが、でも圧倒的に男子に多くみられました。

だれかが何か失敗をしたとき、ちょっとした勘違いでおかしなことを言ってしまったとき、授業中に質問されて間違ったことを答えてしまったりしたとき、周りの生徒がからかったり馬鹿にしたりすることはよくあります。本人は失敗したことがわかっているのに、悪いことをしたわけではないのに、友達からからかわれたり馬鹿にされたりしたらどんな気持ちになるでしょう。それも耐えられないようなひどい言葉で。私だったらいたたまれなくなります。

注意をすると生徒たちは決まって言います。「冗談だよ」と。でも、たとえ冗談であっても、そしてどんなに親しい間柄であっても言われて嬉しい言葉だとは思えません。言われた本人は表面的には何でもないそぶりを見せていますが、嬉しいはずがありません。「死ね」などと言われて嬉しい人がいるでしょうか。

生徒たちがこうした言葉を口にするのにはテレビなどマスメディアの影響が大きいことは疑いがありません。ギャグと称して芸能人が発する言葉の数々を生徒たちは毎日のように口にしていました。当時はまだSNSの時代ではありませんでしたが、今はSNSの影響でかつてとは別の形で及んでいると感じます。あまりにもひどい誹謗中傷の言葉がためらいもなく発せられ、知った人であろうと知らない人であろうとぶつけられています。おそらく発信者は面と向かっては口にしないでしょう。匿名だから平気で言えるのだと思います。

腹の立つことがあったり、怒りで相手を殴りたくなることは誰にでもあります。そんな時、たとえ手を出さなくても言葉がそれと同じくらい相手を傷つけることがあることを私たちは忘れてはいけないと思います。ましてや相手が何も悪いことをしていないのに、ちょっとしたミスをしてしまったり、人と違うことをしたり、失敗をしてしまったりしたときにひどい言葉を浴びせるというのは、殴りつけるのと何も変わりありません。言葉の暴力です。

自分が言われて嫌なことは人も嫌なはずです。自分が想像する以上にその人は傷ついているはずです。ナイフで切った傷は時がたてばたいてい治ります。でも、傷ついた心はそう簡単には癒えません。もしかしたら一生の傷となるかもしれないということを生徒たちにわかってもらいたいと思いながら指導していました。でも、心に訴える指導はそう簡単ではありませんでした。今の先生たちはどうしていらっしゃるのでしょう。

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