見出し画像

ノスタルジック京都:友達の下宿を楽しむ

大学の友人は多くが下宿をしていました。自宅通学をしていた私は自由に暮らす友人がとても羨ましかったです。だからいつも彼らの下宿を渡り歩いて下宿生活を「おすそ分け」してもらっていました。

今のような学生マンションやアパートなどない時代です。いわゆる間借りです。古い町家に大家さんがいっしょに住んでいることもありましたが、学生だけのところも多かったです。学生だけの場合は台所やトイレは共同で、風呂は銭湯に行っていました。電話もなく(もちろん携帯なんてありません)必要なときは外の公衆電話でかけていました。大家さんが近くにいる場合は呼び出してもらっている人もいたようですが、発信はもっぱら公衆電話でした。部屋の広さは4畳半か6畳が一般的です。

一間しかない狭い空間で生活するのですからみんないろいろな 工夫をしていました。押し入れをベッド代わりにしていた人がいます。ビールケースでベッドを作っている人は多かったです。酒屋さんで瓶ビールのプラスチックケースを8個から10個買ってきて並べ、その上に布団を敷いただけの簡素なものですが意外に頑丈で寝心地もそれほど悪くないようでした。床の間のある部屋を借りていた人は床の間をベッドにしていましたっけ。

学習机を置くスペースがないので多くの人がこたつを使っていました。夏は布団を外して使いますが、冬はこたつでそのまま寝ている人もいました。手を伸ばせば部屋の中のものが簡単に取れます。

書籍は段ボールや木製のリンゴ箱などに収納することが多かったです。お金に余裕のある人はカラーボックスに収めていました。先輩からのお下がりを使っている人もいました。置き場がないので本は少なかったですが、女性の部屋では高野悦子さんの『二十歳の原点』をよく目にしました。京都で下宿しながら立命館大学に通っていた高野さんの感性に共感する人が多かったようです。私も愛読していました。ちなみに本は必要に応じて図書館で借りたり、友だちの本を回し読みしていたようです。

洋服はファンシーケースに収納している人が多かったです。今はあまり見かけませんが、ファスナーがついたビニール製のケースです。昭和30年代の終わりに開発されたと言われおり、当時は花柄が多かったので特に女子には大人気でした。おばあちゃんにもらったという粋な柳行李を衣装ケースにしている人もいました。

親友のY子は1軒の町家を女子学生数名で借りて暮らしていました。今風の「シェアハウス」のような雰囲気です。2階にかなり広い部屋が1つだけあり、彼女はそこを借りていました。天井の低い屋根裏部屋でしたが、おしゃれな彼女はカラフルなカーテンをかけ、ベッドも置いて花柄のベッドカバーをかけるなどおしゃれな部屋づくりをしていました。下宿生には珍しくクーラーも設置していましたし、小さなテレビもありました。彼女の実家は名古屋でスーパーを営んでいます。裕福な家庭なので下宿も他の学生に比べると豪華でした。大学に近かったので私は授業の合間によく彼女の下宿に行って息抜きをしました。彼女のお父さんは愛娘のために何かあると名神高速道路を車で飛ばしてきました。大変なことがあるわけでなくても野菜や日用品を持って来たり、Y子に頼まれたものを届けたり、エアコンの修理に来たりと忙しく行き来していました。それが「名神パパ」の楽しみでもあったようです。私も八丁味噌を何度もいただきました。

下宿は自炊が基本です。外食をする人もいたようですが節約のために下宿で簡単な料理をする人は多かったです。食事時になると土間の台所に集まって料理をしている様子はまるで湯治宿のようなでした。冬はだれかの部屋に集まって鍋を囲むこともあり私もよく参加させてもらいました。安いお酒でほろ酔い気分になり底冷えのする京の夜の町を歩いたことを思い出します。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?