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「私の恋人」を5倍感動できる観賞ガイド(あくまで個人的ミカタw)

10日まで下北沢、本多劇場で公演してる「私の恋人」ですが、上田岳弘氏の原作と頭良すぎる渡辺えりさんの演出もアリめっちゃ面白いのに、まぁ〜難解なんですわ!でもこれ漫画家脳で観ると「クッソ泣けます」
なので、ネタバレ嫌いな人はこれ以降進むな!ですがまあマンガ屋のポンチ脳はどうやって見てるんだ?と興味がある方はガイド代わりに読んでください。www私はこの見方で5倍は泣けました

https://nondesu.jp/15020/



















これくらいでいいか!
さて難解なのが「私の恋人」はアングラ劇なので、人物、時間、場所、全て並列という事です。

早速のネタバレですが、私は追い求める恋人→「考える葦を得た人類の希望や創作や平和そして愛の象徴」と捉えました。これをまず頭に置きました。

さらに私は主人公井上ユウスケが語るクロマニヨン人とユダヤ人ケプラーは勿論、旅をする医師高橋陽平も同じ「人類が良くなろう希望を持とうとする意識」と感じました。弟の出来が悪くズルいトキオはユウスケ(人類)のダークサイドと捉えました。

これらを頭に置いてみると、「ここにいるよ」と優しく周りで歌う天使が見えない、逢えない、ユウスケ(人類)が辛くて堪らんです。
クロマニヨン人が壁画に人類始めて描いた「創作の希望」は武器を使うネアンデルタール人によって忙殺されユダヤ人ケプラーは無惨にもナチズムにより収容所で息耐える、それでも「私の恋人」は「ここにいるよ」とずっと人類に語りかける。もう泣けます。

医師高橋は「行き止まりの人類の旅」(希望と安寧を手にした人類の行き着く場所)で出会うアボリジニの虐殺を代表とする様々な弾圧、それを誤魔化し(火星人と比喩)何事も無い事にする人類に頭が混乱するが、ダメな女キャロラインを救う事でほんの少しの贖罪を感じ旅を続ける最後の希望にする。

中盤からユウスケは高橋と一緒にいるキャロラインが「私の恋人」ではないか?と思い込み「先生から奪いたい!」と叫ぶがそれは間違っているし、ここで私はお前のすぐ目の前にあるのになんで手に入らないんだろうと切なくて泣けてきた。

人生はサーカス、確かにそうだ煌びやかで何処か寂しい、まだ恋人に逢えないユウスケは泣くしか無い、そんな孫に「何回もやり直してるというお前の父や母、血脈をどう思ってんだ!」と詰め寄る祖父のユウジに対してユウスケは「血だの血脈だの関係ねえんだよ!そんなこと言ってるから戦争は終わらないんだ!」と叫ぶ、確かにそうなのだ血とか宗教だとかマイノリティだとか人類が本来手に入れなきゃいけないのは平和、創造、優しさ、血脈にこだわるから争いが終わらないんだ…でも家族はかけがいの無い物だし…途中ユウスケとトキオの家族の歌はグッとくるし…辛くなったよ

ラスト、ユウスケが服を脱ぐとそこには「私の恋人」が現れ、優しく微笑む、ユウスケの中にすでに「私の恋人」はいたんだ!そう私の中にも居るはずだ!衝撃の演出から私の恋人は未来のユウスケに姿を変え、現在のユウスケに会いに来る…長い長すぎる「私の恋人」探しの旅を終わらせようと諦めさせようとするのだ…しかしユウスケは拒否するどんな事をしてもどんな困難や絶望があってもユウスケ(人類)にとって「私の恋人」(希望、夢、創作、平和、優しさ、愛)とは「…遭ってしまうんだ」と静かに語る。逢ってしまう(求めてしまう)のは人間の業だし、欲だし、運命だし、生きる事そのもののだ。
もうここで堪らんでしたね泣きましたよ、こんな悲しくて切なくて希望を持てる拒否無えっすよ、辛いっすよ、人類はやっぱり「私の恋人」を永遠に探すしか無いんすよ…

そして、病室で狂ったのか悟ったのか?正気の抜けたユウスケは自分は神なのだと言う、私は切なくてたまりませんでしたよ、人間は神に成らないと「私の恋人」は手に入れられないのかなぁ…何周すれば人はホントに優しくなれるんだろう、今もどこかで戦争と弾圧がある。人の足を引っ張り嘲笑するネット、産まれない子供たち、殺される子供たち、人類はこんな愚かじゃ無いはず!もっと優しくなれるはず!何で何でなんで????

シュールリアリズムの代表であるマグリットの山高帽の男に扮した3人が笑いながら楽しそうに風に乗って去ってゆく姿を見送ると充実感溢れた5倍は泣け考えさせられる舞台となりました。

いかがでした?これはあくまでも私個人、漫画家脳の解釈で見た「私の恋人」です。異論は当たり前、ホントに参考までにって感じです。でも悪く無いでしょ?
これからの方、もうすでに見た方、CSで見る方、一度参考にしていただければ幸いです

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