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人間的成長

何を書くにも長文駄文になるから結局noteに来ちゃうりちゃここです\( ᐛ )/

別に誰かに読んで欲しくって書いてるわけじゃなくて、いつかこれを読み直す自分のために書いてるだけです。

やっぱ嘘、本当は読んで欲しい人がいるかも。
でも私から「読んで」って言うのはなんか恥ずかしいから笑
いつか読んでくれますように。


【人間的成長】

これはAO受験に出願する際に、中学卒業時の自分から今の自分になるまでの人間的成長を書かなきゃいけない大学があって、めちゃくちゃ悩んだ題材。
8月下旬に出願だったんだけど、今思えば「成長」を書いたってよりは「こういう風に成長したい」内容を書いちゃってたなぁって。

結果は1次で不合格。
まあそりゃそうよ笑 書類で見抜かれるってよく聞くし、教養とか全部文章に出るって言うもん。でも今なら人間的成長が書ける気がする。だからnoteを開いた。

遡ること高2の夏。
AO専門の大手塾に入った。中学受験の時から集団授業が苦手で、鉛筆の音とか自分の爪とか先生の仕草とか、そういうのばっかり気になっちゃうタイプ。でもAOは1人では戦えないもので、周りのフィードバックが不可欠だから大手塾への入塾を決意した。

普段女子校に通う私にとっては塾は共学そのもので、だからこそめっちゃ楽しくて、なんだかもうひとつの学校に通ってるみたいだった。

でも次第に塾内恋愛とやらに巻き込まれて。最初は人の恋バナを聞くのは楽しかったけど、巻き込まれるとちょっと違う気がして、そろそろ受験に集中したい時期でもあったし、恋バナで盛り上がる子達とは離れようって決めたの。

でも私不器用だから離れ方が上手くいかなくって。
りさこ(私の本名)はHちゃんの好きな人奪ったとか、りさこは先生と付き合ってるとか。
ないことばっかり噂されて、気づけば悪い女として仕立てあげられてた。事情をよく知らないくせに他校舎にまで広める女の子もいて、他校舎の子に「噂で聞いたよ」って言われることもあった。

もしかしたら私がそういう態度を取っていたのかもしれない。でも人の好きな人奪うとか先生と恋愛するとか、そんな余裕ないに決まってる。舐められてんのかよ。バカにされてる。軽い女、安い女って思れたか。って思った。

こっちからしたらすっっごい迷惑で、間接的ないじめだと感じた。でもこんな奴らにいじめられてるとか私らしくないし、馬鹿馬鹿しくって所属校舎を変えようと急いで塾のスタッフに言ったんだけど、塾としては業績に貢献する可能性がある子を手放したくなかったのか、許してくれなくて。
でっち上げの噂で盛り上がる子達が本当にアホらしくて、受験失敗しろって思ってた。不幸になればいいのに。って。

もちろん私は受かりたいから、我慢して、そんな噂をひとつも否定せずにアイツらにとっては悪い女のまま受験に挑んだ。でもどうしても気になる。今噂はどこまで広まったんだろう。他校舎のあの子がそれを聞いて鵜呑みにしちゃったらどうしよう。こんなこと考えてる自分も嫌になった。受験に集中したかった。だからその子たちを見下すことにしたの。

見下すことで自分を高める。
これで夏休みなんとか乗りきった。この方法しか無かった。自分が高まるならそれでよかった。夏期講習もクラスは全部1番上になった。私はアイツらとは違う。アイツらは遊んでるけど私はその時間勉強してた。アイツらはそもそも研究テーマがバカっぽい。あれは学問じゃない。うるさい。食べ方が汚い。笑い方が下品。

そうやって夏が終わった。塾もアイツらも大嫌い。でももうすぐ合格が手に入る。あと少し。あと少しだけ我慢すれば塾を卒業できる。

でも受かりたい学校から合格が貰えなかった。

死ぬほど悔しかった。なんでこんなに我慢してるのに神様は微笑んでくれないの?どうしてアイツらと同じ不合格なの?なんで?どうして?って何時間も泣いた。

きっと人を見下すことで自分を高める方法が間違っていること、いや、高まるどころか堕ちていることを、不合格という通知を通して神様は教えてくれたんだと思う。


私は幸せなことに属してるコミュニティが他にもいくつかあって、例えば一つ前に書いた記事「歩幅なんて、関係なかった。」に出てくるカワプロっていう団体。

この団体はたっっくさんの個性があった。高校生もメンターさんも。様々なバックグラウンドがあって、私なんてこの中じゃきっとちっぽけだったろう。

集まる頻度は2週間に1回くらいで、頻繁に会える仲じゃないから、この団体に熱意とか愛とか覚えるわけないって正直思ってた。

でもだんだんとお互いの夢ややりたいことを知っていくうちに、尊敬できる所が見つかってきて、素敵な人が沢山いることに気づいた。浪人した人。休学してる人。定時制に通う人。進学校に通ってるけど成績はちょっと…って人。留学した人。学歴がコンプレックスの人。帰国子女。この団体に苦労したことがない人はいなかった。逆に私がこの集団の一員でいることが申し訳なくなるくらいみんなの人生は豊かだった。

本当にこの団体に所属する人間全員のことを私は尊敬してる。1人1つは必ず尊敬できる所を見つけた。これは本当。

人の尊敬できる所を見つけるのってなんだか幸せ。そしてそれを伝える時は少し照れくさくてドキドキする。たまらなくくすぐったい。気分がいい。大学生相手でもちょっと上から目線に聞こえちゃうくらい褒めてしまった笑

するとそんな所に気づけるなんて凄いって褒め返された。想定外だった。他人のリスペクトできる点を見つけて、のほほんと幸せな気分になって、余裕あれば見習う気でいた自分の自己満だったから。


本当は自分が主とする学校というコミュニティの中でももっと様々な個性があるのかもしれない。それに気づいていなかっただけで、もっと壮絶なバックグラウンドを抱えた人だっているかもしれない。高校3年間なんとなく一緒に過ごしてるだけでお互いのこと知ったつもりになってて、もしかしたらあの子のこと全然知らないのかもしれない。学校こそ個性が溢れていいはずなのに、学校という狭い社会がその個性をカモフラージュさせてるのかなって。でも学校の教育方針に共感して入学したのは自分たちだしなあ。

そんな私の通う高校はエスカレーターで大学にあがれる。学年の8割りはその乗り物に乗る。中にはそれを想定して入学してくる子も多くいる。かつて私もそうだった。
でも、いくらcollegeではないuniversityだとしても明らかに分野の偏りがあるし、「この大学のこれらの学部の中から選ばなきゃいけない」っていうスタンスを窮屈に感じた。なんでこの中から選ばないといけないの。私は日本中にある全ての大学の学部から選びたかった。だから敢えてマイノリティに属し、受験を選択したら内部推薦を捨てなければならないリスクのある道を選んだ。

一方でマジョリティの中にも「とりあえず大学生になれればいい」っていう人もいる。与えられたものをこなす人。別にいい、その人の自由だから。

何が言いたいかって言うと、大学附属は楽チンな反面、これからの人生の選択肢を狭めてる面もある。ということ。

なんか今書きながら学校の現国の先生の言葉を思い出した。

「今日までの自分は今まで選んできた選択肢によるものでもあるが、捨ててきた選択肢の蓄積でもある。」

まあこの記事ではこれがメインじゃないからとりあえず、、あと3ヶ月くらいでJKは終わってしまうけど、残り3ヶ月で友達の尊敬できるところ、個性、昔話を沢山していこうと思う。思い出作りもね。


私はInstagramに名前を書かない。「んちゃ」ってだけ書いた。それには理由があって、名前と顔を覚えたら私のこと知った気になられるのが嫌だから。名前なんてあとからでいいのに。

前どこかで【逆さま履歴書】っていうデザインの履歴書をみた。普通なら名前とか顔写真とか住所とか生年月日とかが先に来るけど、逆さま履歴書はやりたいこと、バックグラウンドとかから書き始めるデザインになってるの。名前は1番最後。ナイスアイデアの作品だ。私が社会に出る時には逆さま履歴書が普及されてますように。



2019年の夏に私は変わってしまったように思う。でも秋にはまた変わった。

もう今は秋と冬の狭間だけど、夏と真逆の行為ができるようになった。春には私はどんな姿になってるだろうか。

今でもあの時味方してくれなかった塾は大嫌いだけど、夏の自分と向き合うためにちゃんと行こうと思う。アイツらはまだいるけど、アイツらにも尊敬できる所があるかもしれない。見つけに行ってきます。

これが、私の人間的成長です。