親が大阪で売れる前の明石家さんまさんに会った話

自分の親は二人ともコテコテの関西人なのだが、
母親は若い頃しょっちゅう売れる前の明石家さんまさんに会っていたらしい。
会うと言っても知り合いではなく、街で見掛けたらしい。

ん?まだ無名の若手を街で見掛けた?

なぜ無名なのにその人が『若手芸人明石家さんま』だと分かったのか。。話したことがあるのか?
いや、違う。
なんとさんまさんは、
無名時代からプライベートでも、
常にあの状態(病気みたいに言ってごめんなさい)で街を歩いていたらしい。
さすがとしか言いようがないです(笑)

しょっちゅう道頓堀あたりで、道行く人全てにあの状態で話し掛けていたから、あの地域の人は売れる前から明石家さんまさんだと認知されていたらしい。

ただ今のようにキャーキャーはならず、

ウルサ過ぎて『あ、またさんまいてるわ~』くらいの感じで見られていたらしい。
なんだか想像できて笑ってしまう。(笑)

明石家さんまさんと言えば、
個人的に最も影響を受けたお笑い芸人の中の一人。
底知れない明るさと、どんなことも笑いに変える器。
いつどこでも笑いに全力で、素人相手でも子供相手でも若手相手でも、いつでも明石家さんまでいるサービス精神。

実は俺は見た目怖いとよく言われるが、さんまさんのこんな姿勢を凄く見習っている。
特に常に芸人であるサービス精神と、
どんな辛いことも笑いに変えて飛ばすポジティブさ。

例えば公園でネタ合わせ中に酔っ払いに絡まれても、他の芸人がシカトしてる中、俺はその酔っ払いに芸人らしいリアクションを取ったりする。漫才やってと言われたら漫才もする。
『こんな美味しい状況なかなかない』とも思うし、
絡まれたときに面倒と思うか『この人のこと笑わせたい』と思うかの違いでもある。

さんまさんも街でヤンキーに尻を蹴られたとき
『ナイスキック!』と言って笑いに変えたと言う有名な話がある。
根本的に笑いがある明るい空気が好きで、決して自分が凄いと思われるためにお笑いをやっている訳ではないんだろうなと思う。

辛いことがあっても、まず最初に頭に浮かぶのは
『これ、エピソードトークで使えるかな?』って疑問。

笑いになるなら何でもいいと思うようになってから、落ち込むこともほぼなくなってきた。

さんまさんと言えば元は落語からスタートで、
落語は全く上手くいかず、しかし楽屋でのトークがずば抜けて面白かったらしい。
それを見た師匠が『落語家じゃなくお笑いタレントになれ』と進めて今の明石家さんまさんになったらしい。

最近はそう言う先を見据えた売り出し方をする事務所が全くなくなったのが寂しいと思う今日この頃。
基本事務所は若手が自分で結果出すまで放置だが、そうなってから冠番組を持つような若手は出てきてないし、実はお笑いがユーチューバーに人気で負け出したのもその頃から。
ネタが面白い才能と、バラエティで面白い才能は全くの別物だからね。。
このままでいいのかお笑い界と思うが、もし自分がさんまさんくらい有名になれたら、若手をシッカリ育てたいなと思う。

最後に俺が大切にしてるさんまさんの名言を。。
『俺は人に腹が立たない。腹が立つって自分を偉いと思ってる人。俺、全然偉くない。』

あー、早く売れてさんまさんに会ってみたい!

リッチドッグ 宮本

皆様からの応援が励みになります。是非サポート宜しくお願いします🙇