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人生は「緊張」と「弛緩」の連続である。

 今日代講したSongwrtingの授業。その中で音楽はドミナント・コードまたはその機能を持つ不安定な響きのコードが現れて、それを安定感のあるコード(トニックやその機能を持つコード)に解決する連続で出来ているみたいな話をした。例えば幼稚園の頃に先生が、ジャッ、ジャッ、ジャーンとキーがCメジャーならC(ドミソ),G7(ソシレファ),C(ドミソ)と和音を弾いて、それに合わせてお辞儀をした人も少なくないだろう。でももし先生がジャッ、ジャッ、までで弾くのをやめて最後のコードを弾かずにその日が終わるとすると、どうも落ち着かないに違いない。「安定」から「不安定」へ(そこで一瞬ハラハラする)そして「安定」に進んで落ち着くというのが一番安心する良い流れであるはずだ。

 そう考えてみると我々の日常も全く同じ。一度も訪れたことの無いレストランに一人でエイヤッと入ってみる(ドミナントコード的不安定な緊張の時間)〜食べ終わって「美味しかった」とか「思ったほどでは無かった」とか、とにかく緊張からは解き放たれてトニックコード的な安定を得る(弛緩の時を迎える)と言うサイクルの連続のような気がする。

 つまり我々の人生に問題が起きたり、ちょっと背伸びしないといけないようなチャレンジングな事が出てくるのは本当はとてもありがたい事なのだろう。それが無いと全く動きのない、面白くも何とも無い人生になってしまうような気がする。とまあそんな事を僕は今日初めて訪れたタイ料理屋さんでランチをほうばりながら考えていたのであった。いや〜、美味しかったです(←弛緩の時間)。



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