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ラッキーかアンラッキーかは結局自分が決めている。

 僕もけっこうな年齢まで気が付かなかったのだが、ラッキーとかアンラッキーって結局その経験した人が勝手に決めているだけで、絶対的な指標なんかどこにも無いのだと思う。

 例えば今日写真を使わせて頂いた鎌倉の大仏。東日本大震災が起きるまでは、この大仏にもかつて奈良の大仏のように大仏殿があったのだが、津波で流されてしまったと言うエピソードを心の底から「嘘だろ」と思っていた。

 でもまあそれが本当でも嘘でも、今アウトドアで会える大仏はこの鎌倉で奈良では無い(まあ牛久とか後から出来たやつは除くと)。それはラッキーと考える事も出来るし、これが大仏殿の中にある感じを見たかったのにとか、雨ざらしで車の中でずっと忘れ去られていた10円玉みたいな緑青に塗れた緑色の大仏じゃなくて(個人的には味があると思うのだが)、ピカピカの大仏が見たかったとか思えば、それはアンラッキーだと言えなくも無い。

 実は今日左手の親指の第1関節あたりを火傷してしまった。火傷してしまった事自体はアンラッキーかもしれないが、明日ライブ本番だったりしたらそこが思いっきりベースのネックに当たるのでちゃんと弾けなかったかもしれない。そう思うとあり得ないぐらいラッキー。やっぱり僕は持っているな、とすら思う。

 と言うわけでラッキーとアンラッキーに絶対的な定義など無い。ならば出来るだけ起きた物事を「これはこう言う意味でラッキー」と捉えて良い方向に持って行けば良いんじゃ無いか、なんて思う今日この頃なんである。まあでも、そう思っても何でも、左手の親指は現時点でヒリヒリ痛いんだけど(笑)。

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