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「国民性」「県民性」で人をくくると、見失う〇〇なこと!

ある特定の地域の人々とコミュニケーションをする時に、なんとなく参考にするのが、その県の、その国の人々の国民性、県民性です。


この「国民性」や「県民性」ですが、定量的に、定性的に定義されたものでもなく、いわば人の主観で言われることが、集約化されて「国民性」や「県民性」になっているわけです。


客観的なデータはなくて、主観の集合体みたいなもの。「本当に〇〇の人は〇〇な性質があるのですか?」と聞くと、「自分の知り合いはそうだったよ」と。では全体的な統計を取って、60%とか70%近い人がそのような傾向性であるかは不明。


なのによく言われるのが、例えば「日本人は勤勉だ」「東北の人は無口で忍耐強い」「フランス人は仕事をしない」など・・・※以前にお世話になったフランスのある業者さんは仕事は微妙でしたが・・・


確かにそうなのかもしれないが、東北の人だって、中には無口でない人だっているし、フランス人だって仕事をせかせか頑張っている人だっているのです。


その国の人や、その地域の人を目の前にしたときに、「この人は〇〇だ!」と決めてかかってしまったり、大多数を前にして、「みなさん〇〇な県民性ですよね」と言ってしまうことは、特に気をつけなければいけません。


なぜならば、その国や地域に所属していたとしても、「自分はそうではない!言われるような〇〇な一面はない。」と思っている、意識している方も非常に多くいらっしゃるのです。


そういう人から言わせれば、もし「〇〇の地域の人は〇〇な傾向がありますよね〜」と言ってしまったら、「勝手に自分を国民性や県民性でひとくくりするなよ!」と怒ってしまうかもしれません。


また、中には「やっぱり私達は〇〇だからダメなんだ」「結局そう見られているのか?」とネガティブなスパイラルに入ってしまう人もいるかもしれません。


なので、ベターな言い方としては、「〇〇の地域の人は、✕✕な傾向があると言われていますが、あなたは(みなさん)は△△でイイですね!」とすることです。


そうすることで、場の雰囲気がぐーっと暖かくなっていきます!


人というのはどこかに「自分を見て欲しい」という承認欲求があります。県民性、国民性というレンズで見られると、自分を見てくれていない、あの人は自分を分かってくれていないというところになってしまいます。


「あなたは〇〇ですね」と肯定してあげることが重要。結局、国民性や県民性なんていうのは、参考程度の情報にしかならないと思った方が良いです。


何が言いたいかというと、県民性、国民性だけで人を見てしまうと、その人のリアルな一面が見えてきません。個性の部分を完全に見落としてしまいます。「県民性はあるけれども、この人はどういう人なんだろう〜」と会話をしながらその人の個性を知っていこうとすることが、本当に重要です。


そうすれば、自然と上から目線な会話でなく、個性を認めようという意識が働きますから、同じ目線で聞いていこうとしますから、良い雰囲気になれるのです。


県民性、国民性というところから、そんなコトを考えました。

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