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境界不明瞭な嗜好品と必需品


嗜好品はしばしば浸潤し、その領域を必需品の中に紛れる

珈琲、紅茶、ケーキ、ブランド品、コンビニ、おやつなど例を挙げれば枚挙にいとまがない。それは、人が感情の生き物だからだろう。嗜好品は心の栄養と言い換えられることもあり、摂取することで幸福感や満足感をもたらす。ポジティブな神経物質を放出、受容し、なんとか明日につないでいる。それが嗜好品が必需品の領域に軽々進展してくる理由と思える。筆者の場合は食べ物ばかりが例に上がったが、人によってはタバコ、ギャンブル、お酒、買い物、美容、車、仕事なども境界不明瞭になりやすいようだ。

いつでも触れられるのは自分だけ

必要なものは必要なのだからその存在にジャッジはいらない。必要なものはどんな時も何としても補わなければならない命そのものだ。必需品は少ない方がいい。基本的に自分の存在以外は保証されないからだ。自分以外のものは、いつ自分の前から姿を消すかわからない。平時は当たり前に供給されているものも、災害や、環境、経済状況が変われば手に入れられる保証はない。もともと最低限で暮らしていれば無くなるという不安から逃れられる。不安から逃れた先には自由がある気がするから目指したくなった。

嗜好品はあれば嬉しいもの。必需品はないと困るもの

嗜好品があるからこそ豊かに日々を過ごせるのであれば、嗜好品をはっきり嗜好品として認識することが大切だ。たまに取り入れたら心が躍るような感覚を保てる。例えば珈琲。いつもの朝、ルーティーンの一部としてお湯を沸かす。ほぼ考えなく体が勝手に動く。食品庫の扉を開けると珈琲がない。あっと顔をしかめる。そうだ、切らしていたのだ。小さく舌打ちをして今日の買い物リストに書き足す。こうなれば嗜好品が必需品の領域に浸潤している。なくなってネガティブな感情が沸いたら距離感を図り直すタイミングだ。筆者は家で、もっぱら水を飲んで過ごしている。温めれば夜の読書の時間もより一層心地いいものになる。

境界が明瞭になると得られるもの

ネガティブな感情が減っていくことが実感できる。必需品の数を減らせればさらに心が落ち着く。なぜなら、それが無いときに動揺することがほとんどなくなるからだ。副産物として蓄財できることも無視できない。気を配る対象が絞られることで時間も生まれる。時間ができると考え事をしたり読書をしたり、意識を内に向ける機会を得る。筆者は境界を明瞭にしたことで嗜好品から得られる喜びの感度が高くなった。


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