母親像
私は母を反面教師にしている。
昔からそう。母は、私の求める母親像ではない。
そして外見も似ていない。
私は父が女装をしたら私、くらいに父親似。特に目元や雰囲気が気持ち悪いくらい似ている。パッと見は母に似ているのかもしれない。でもそれは女性だからというだけ。
正直に、似ていると言われるのもイヤ。
私は小さい頃から周りの母親が羨ましかった。
一緒に料理や手芸をしたり、一緒に洋服を買いに行ったり。そういうことができる母親っていいなと思っていた。
理想の母親像を自分の母に押し付けるわけではないのだけれど、あまりにかけ離れていておかしくなる。
料理が上手。せめて下手ではない。
美しい。せめて小綺麗に。
化粧をきちんとする。清潔感大事。
物知り。聞けば何でも知ってるのがいい。
化粧や服装で悩めばアドバイスをくれる。
仕事もそこそこに自分の人生を楽しんでいる。
友人とか恋愛とかに口出しはしない。
子どもを1人の「他人」としてほどよい距離感で扱う。
どれも無い物ねだりなのはわかっている。
けど、私は母の作った料理がトラウマになりすぎて食べられない物が実は多いとか。外見は仕方ないにせよ、何の努力もしていないことにイライラするとか。知識も知恵もなく生きているのとか。そのくせ行動を監視するのとか。
全部が受け付けられない。
恐らく母は通知票で言えばオール2くらいの水準なのだと思う。全てが何か違うなと。娘だからこそ厳しい目で見ているのかとも感じたのだけれど、どうやら違うらしい。
夫や子どもたち、夫の両親、私の友人、皆が口を揃えて言う。
ホントにお母さん?
ね。私もそう思う。何なら義母の方が私とよく似ているし価値観も近いくらい。結婚式のときにカメラマンが親子の組み合わせを間違って配置したくらい実母に似ていない。
私はそれを反面教師として子どもたちに接してきて、これで良いのだと思っている。
子育てのテーマは「自立」させること。
子どもたちには早くから自分の責任で決断をさせているし、進路とかに口出しはしない。もちろん恋愛もどんどんしてほしいし、無断外泊は怒るけど申請してくれればOKなくらいゆるい。
学生が終わった先のことを当然見据えているから2人とも家事はできる。積極的にはやらないけれど、言えばできるようにはしてある。
2人とも卒業したら、早めの段階で一人暮らしをしたいと言う。ただ遠すぎるのはホームシックとかになるから、いざというときに帰れるくらいの距離感にすると宣言している。
私はそれを認めているし、早く出ていって欲しいとすら思っている。1人で色んなことに立ち向かっていくことほど素晴らしい経験はない。
私は子どもたちに何度か「ダメな母ちゃんでごめんね」と言ったことがある。子どもたちは
ダメとも思ってないし、別に母ちゃんは母ちゃんだからいいんじゃないの?母ちゃんじゃなかったら困るじゃん。それ以上完璧になられても息が詰まるし。私らが母ちゃん好きなんやから、それでええと思うよ?だからそのままでいい。
そう言ってくれる。鬱になったときも、私は子どもたちに怒られてばかりだった。
ちょっと調子よくなったからって、だからって調子にのって何でもやらなくていいから!おとなしく寝てりゃいいから!今日ご飯適当に作るから、猫と一緒に寝てきて!ね!
そうやって台所から追い出された。
子どもたちにとって、ちゃんといい母親じゃないといけないとか、立派な母親じゃないとダメだとか、自分で勝手に理想像を自分に押し付けていたなと反省した。
それでも、やっぱり私は母のことは好きにはなれない。それはそれでいい。少なくとも我が子は、私に対してきちんと愛情表現をしてくれる。
もう二十歳になる娘はまだハグしにくるし、高校生の息子は私に色々相談してくる。
私、そんな年頃に親に対してそんなにオープンになれなかったし、何なら今でも毛嫌いしてるくらいなのにね。
子どもたちにとって理想像ではないかもしれないけれど、ヘッポコかもしれないけれど、それでいいって言ってるんだから私の「母親」としての生き方はとりあえず間違ってないようです。
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