賜物の使い道
久しぶりに投げるこのページは、私とっての備忘録としたい。
私にしかない私だけの賜物ってなんだろう。
これを中学生から考えてきた。
小学校から信者ではないがカトリック系の学校に通って大学も入れてはや16年目になろうとしている。
先生から言われ続けた、
「人生はあなただけの賜物を見つける旅です」
って言葉はいまだにふとした時に思い出される。
ここでの賜物は
【神様から頂いた、あなただけの特別な力】
を指す。身近な言葉では【gifted】なのだろう
4.5年前とかこの間までの私にとってのgiftedは
「誰とでもそこそこまあまあ溝を深めることなく生きていくこと」
だった。
この星にはどうしても相入れない人だっていると考えられがちだけれど、私は自分にとって相入れない人はいないし、その人にしかない賜物をみつけたい。
相手が私を相入れないと認めるまでは。
これが私にとって与えられた使命だと思っていたし、今だってそのgiftedはあるとおもう。
だけど、最近の私にとっての使命はまた少し変わった。
「私のいるコミュニティは絶対に上手くいく」
これが、最近の私に与えられている賜物だと思っている。
言い方がアレかもしれないが、大体人間関係がうまくいかなくて、、、ゼミにいるひとが性格合わないの、、、だとかなんらかのトラブルに巻き込まれている。
だけど、私のいるコミュニティは絶対に、と言い切れるほどその問題が生じない。
まあ生じているのかもしれないけど、そのことで表だった話し合いになったことがないのだ。
みんなを巻き込んで、空気が悪くなりそうなら自分が動く。困っている人がいたら絶対にすぐに駆けつける。なんでも自分から働きかけて良くしようとする。この力は16年通った学校の教えとなにより母の生き方に由来しているのだろう。
自分で働きかけすぎて、どうやら友人は(私)の友人ですよね?と聞かれると言っていたりするくらいには目立っているらしいが、悪目立ちよりいいだろう。
だからと言って、ド陽キャなわけでもないし、良くも悪くもグレーゾーンだからこそうまく立ち回れているのかもしれない。
この賜物。
小学校の先生から言われた
「あなたはどのクラスにも1人履いて欲しい」
って言葉がもう物語っていたのかもしれない。
みんなにもあるgifted。私にはこれだったけれど、これから私のgiftedをいかしてみんなと楽しくやってこうよ。
さいごに、きっとうまく立ち回るのは未来の自分が困らないためなのかもしれないっていうちょっとの毒も添えて。
いつもありがとう。私の賜物。
だから忘れた時迷った時はここに帰ってきてね私。
これからも賜物は変わるかもしんないけど、
あんたにしかできないことは絶対ある。
あんたのネガティヴなところもポジティヴなところも、ぜんぶぜんぶ大好きな私だから。
どうか否定しないでね。
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