母の誕生日

今日 4月27日は母の86歳の誕生日。
昨年の一月からケアハウスで暮らす母はレビー小体型認知症にパーキンソン病を併発していて 昨年の夏くらいからだんだん歩けなくなり今は手を動かすことも話すことも難しくなってきている。
でも私が行けば職員の人に長女が来たと言って紹介するし孫やひ孫のこともちゃんとわかっている。

ケアハウスでは介護も受けられるけれどどうしても手が足りない食事の介護に85歳の父が通っているのを聞いたのは先週のこと。
入所当時は面会時間の夕方だけでなく行きたい時に母に会いに行く父のことを少し疎ましく思っているようだった職員に皆さんも 朝に晩に訪れる父は そのことを生きがいにしていると受け入れてくださって食事の介助を父にやらせてくれることになったらしい。
特に朝起きたてはなかなか口を開けられずに食べるのに時間がかかるらしいが父は母に何か話しかけたり文句を言ったりしながらゆっくり時間をかけて食べさせているようだ。

父と母は結婚して今年でちょうど60年。
こどもを4人育て現在は孫が12人、ひ孫が3人。特に財産は残してはいなそうだけれど幸いなことにみんな元気に暮らしている。

若い頃は商売をしていて忙しい日々を過ごしていた母は4番目の弟が結婚したころから今までできなかったことをやりたいと宣言し、演歌でダンシング教室や俳句などを学び始めた。
私が織りを始めたのをきっかけに綿の栽培にも挑戦して自分の育てた綿で私に何か作ってほしいとよく言ったいたっけ。
綿は毎年順調に増えていったけれど私の糸紡ぎがそれに間に合わず、育てた綿を綿打ちしただけでそのまま使って孫たちの半纏やかいまきなどをどんどん作って若い頃に洋裁をしていた母は楽しそうだった。

演歌でダンシング教室では年に一度発表会があって、およそ最年長の母はジタバタしているだけのように見えたけれどそろいのドレスやレオタードを着てみんなと一緒に瀬川瑛子や山川豊の歌庭せて踊る姿は実の楽しそうだった。(何度もDVDを見せられるのには往生したが)

俳句は大して上手いわけではなかったろうが仲間と吟行を楽しむほか孫のテニスの試合やひ孫の運動会に駆けつけては俳句を詠んでいた。

「栃青葉 テニスコートの打球音」

「はればれと 空の青さや 綿摘めり」

「巫女さんに ちょっぴりもらう 新酒かな」

「シンバルを 打ち鳴らす孫 秋日和」


そんな母が認知症になったのはショックだった。
これをすれば認知症にならないとかこんな人が認知症になるとか最近脅し文句のように使われるような気がするこれらの言葉。
好奇心を失わない、機嫌よく暮らす、新しいことに挑戦するなど母は認知症にならないために生きていたわけではないけれど多分認知症になる恐れがあるといわれる人の生活とはかなり違う生活をしていたと思う。

それでもなるときはなるし、なる人はなる。
認知症になったからといって違う人になってしまうわけではないし人生は続く。


せっかくnoteに登録したのに何にも書いていなかったので
母の誕生日に残しておきましょう。
勢いで書いちゃったので読み返さない。

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