見出し画像

定型発達という言葉からさようなら



皆さんは、定型発達という言葉を知っているだろうか?

定型発達(ていけいはったつ、英: typical development, TD)とは発達障害でない人々(あるいはそのような状態)を意味する用語である。

出典:ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E5%9E%8B%E7%99%BA%E9%81%94


おそらく、NHKのあさイチで取り上げられて一般知名度が上がった言葉だと思う。


今回は、この発達障害ではない人たちという意味の「定型発達」という言葉に関しての記事である。定型発達という言葉は発達障害のことを検索したりすると、よく見かける言葉。しかし、この定型発達という言葉についてモヤモヤを感じることが多い。なので、そのことについて書いていく。

※ちなみに私は自閉症スペクトラム障害、アスペルガー症候群である。他にも関連があるものだと、感覚過敏や読み書き障害、発達性協調運動障害などもある人間だ。





「定型発達」という言葉との出逢い

診断を受けて何年かは、自分の発達障害について気になって「変わっている」などの言葉が骨が多い焼き魚を食べているときみたく、骨が気になって気になって突き刺さりつつも、ネットの海に潜っていた。そんな海の中で、調べている時に出会ったのが定型発達という言葉だった。

その頃も…そして今も、「定型発達」という言葉は使われている。主に発達障害の人たちが定型発達の人たちと自分たちの比較やこうしてほしいという説明書みたいなもので使用されたり、定型発達と呼ばれる人たちへの愚痴や悪口からの恨み・憎しみの負の感情をぎっしと具を詰め込んだ海鮮丼のように定型発達という人たちに向けて書かれているのを見かける。

それはいつまで経っても変わらずにあるのだ。負の感情がネットの海の中に流れるように「定型発達」という言葉とセットにして出てくる。

定型発達という言葉を知って少しは「こういう考えもあるんだ。」と読んでいたが、次第に言葉を飲み込んでいくのが辛くなったきた。そう、私の優しい周りの人たちが定型発達と呼ばれる人たちに該当するからである。だからか、私はその定型発達という言葉を使って、憎しみや恨みなど負の感情から発せられる言葉を定型発達という不特定多数に向けるのが嫌いで、定型発達という言葉をなるべく使わない・使いたくないと距離を置いていた。それだから、ここ数年はスルーしてきたのだ、この定型発達という言葉に。

しかし、それ以外でも使いたくない理由や疑問が出てきたのだ。

何故、そこまで定型発達という言葉に疑問を感じるのか

それは「定型発達という大雑把な括りで不特定多数の人間を貶していいのか?」と疑問に思うからである。

たしかに定型発達と呼ばれる発達障害ではない人たちにとっての発達障害は、理解しづらい存在である。それが故に酷い言葉を水しぶきがいきなり来たかのように浴びせられることが多い。私もそうだ。それでとても辛かった時期もある。泣きたくても泣けなかった時期もある。
だが、酷い言葉を浴びせられたからとはいえど、不特定多数でそれぞれ違う環境・背景がある定型発達と呼ばれる人たちに向けてこちら側も負けじと、酷い言葉や上から目線な言葉などを使って対抗していたら、お互いに喧嘩腰になるだけで無駄な時間を過ごすだけだと思う。

それはお互いにとって無意味な消耗をするだけで、そこから何も生まれない。それなら、お互いに愚痴や悪口をぶつけ合う関係よりも、お互いに協力し合えるような関係でいたい。


お互いに助け合う支え合う関係になりたい

私は発達障害だが、定型発達と呼ばれる発達障害ではない人たちによって、昔も今も支えてもらって生きている。

その支えにより、私は生活する上での苦手なこと(例:洋服の整理整頓など)が、少しずつできるようになったり。
逆に私の得意な耳からの記憶力などで、問題解決(例:主に、いつどこに何を置いたか系の話)の手助けすることもある。

発達障害な人たちと定型発達と呼ばれる人たちなど、皆でお互いに協力し合えたら、より良いものが生まれたり出来たりするのではないかと私は思っている。発達障害だけではなく、他の分野でもそのことは言えるだろう。

大切なのはお互いに上から目線で争う姿勢ではなく、一歩ずつ同じ目線で歩み寄る姿勢を表すこと。そして、それをお互いに拒むのではなく、少しだけ耳を傾けてみること。いつまでも無駄に戦っていたら、お互いにお互いのことをもっと嫌いになり、もっと距離が生まれてしまう。


これはお互いにとって難しいことだし、簡単にすぐできることではない。

数年前よりもほんの少しずつだが、発達障害という言葉を受け入れてくれる人たちは多くなった。発達障害という暗い絶望の海の中を潜っていたはずが、その海の中にほんの少しの光が少しずつ見えてくるようになったのはいつからだろう。私はその光をチャンスを無駄にしたくない。その光を私はもっと輝かせるためにも、私と同じように絶望の海に潜ってしまった人達にその光を届けたい。


発達障害の中でも人それぞれの考えがあるのと一緒で、定型発達と呼ばれる人たちでも人それぞれの考えがある。お互いに「発達障害だから」「定型発達だから」と決め付けずに同じ目線で歩み寄る姿勢をもっと出していけたらな…と願っている。

なので、定型発達という言葉とはそろそろお別れをしなきゃいけない。無意味な争いをなくすためにも。私と同じ絶望の海を未来がある子たちに見せないためにも。お互いに歩み寄るためにも。

定型発達という言葉は、お互いに歩み寄るのに邪魔な言葉となる。



だから私は、自分のためにも未来のためにも、
「定型発達」という言葉からお別れをする。

さようなら、「定型発達」





以前書いた発達障害についての記事はこちらにてまとめております

私の病気についてもっと知りたい人用のまとめ記事


【サポート募集中!】 普段は難病のせいで全く働けず、殆ど寝たきり状態のなかで活動しております。もしよかったら、サポートしてくださると心がウキウキでキュンキュンです。猫のトラも喜びます。SNSなどでサポートをいただいたことは触れますが、名前などは出しません。よろしくお願いします!