アセクシュアルは性描写は苦手?
(この記事は2019年に書かれたものです。最新のはこちらで確認してください。)
他者に性的な惹かれを抱かないアセクシュアルは、性描写がある作品を見るときどうしているの?性描写のあるシーンだけ見ないでいるの?
というか、性描写が苦手じゃないの?
この記事は、アロマンテック・アセクシュアルである私が様々な物事についてアセクシュアルの視点で書いてみるというものだ。
※アセクシュアルやアロマンテックの定義などについてはこちらの私のサイトで書いております。
アセクシュアルって性的な描写が激しい作品とか苦手じゃないの?
アセクシュアルと検索したりすると、こういう意見を見たことがある。
答えは、「違う。アセクシュアルと性描写が苦手は違うもの。アセクシュアルは他者に性的な惹かれを抱かないだけであり、性的なシーンを描いた作品に嫌悪感があるとかは別問題である。」だ。
私もそうだったが、性的な描写が激しい作品を苦手だと思うのがアセクシュアルだと思いこんでいた。しかし、それは違う。アセクシュアルは他者に性的惹かれを抱かないだけであって、性的な描写が激しい作品が苦手とかは別問題なのである。
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じゃあ、あなたは見ているの?そういうときはどんな感じなの?
性的な描写が激しい作品なら、意外と見ている。というのも、私が好きなドラマがそういう描写が激しいのがあったりする。海外ドラマでいうと、セックス依存症とか扱う「ジェシカ・ジョーンズ」や18世紀にタイムスリップした主人公の恋愛模様などを描く「アウトランダー」など、キツめな描写が多い。特にアウトランダーは拷問シーンもあるため、性描写がかなり激しかったりする。
私は性描写が激しいシーンは真顔になる。だいたいは、背景をじっくり眺めたりして、その描写のシーンを「あ、そういうのが必要なのか。」でそれ以上に何も思わない。必要だから描いているに違いないと、勝手に脳内で終わらせている。そうしないと、「なぜ、こういうのをしているのかな?」と考えてしまうので、作品に集中したいからとそこに何も考えないようにしている。
あまりにも性描写がメインの作品は、退屈に思ってしまうので避けている。一つの物語としてそのシーンが必要なら、性的描写が激しくてもおもしろければ構わない派である。ただ、そのシーンを見ているとき、真顔になる。それだけ。それだけのこと。
アセクシュアルと性描写
何度も言うが、他者に性的惹かれが抱かないからといって、性描写が苦手というわけではない。もちろん、ひとによってはアセクシュアルで苦手というひともいる。しかし、それはアセクシュアルだから苦手という訳ではない。それは、別の理由によってである。けれども、今のアセクシュアルについては「他者にも性的欲求がないから性描写とか無理だよね?苦手だもんね?」となぜか結びついてしまい、それによってアセクシュアル当事者同士で揉めたりもする。アセクシュアルと性嫌悪がごちゃまぜになっているかのよう。
なぜ、繋がってしまうのか。それは、他者に性的惹かれを抱かないというのがわかりづらいからである。アセクシュアルの当事者でもそうではなくても、そこが同じようにみえてしまう。他者に性的惹かれを抱かない…無であるだけであって、アセクシュアルだから性描写が嫌いなわけではない。
ただ、昨今の世の中などを考えると、他者に性的惹かれを抱かないというのが美しいという価値観が一定数でいる。たとえば、「純潔」とかそうである。他者に純潔を求めるのが未だに残っていて、それのせいで「性描写が苦手で純粋無垢みたいな存在がアセクシュアル」と、変な図式が出来ているのかもしれない。
結論
アセクシュアルは、性描写が駄目なわけではない。少なくとも私はそうじゃない。ひとによっては嫌いな人もいるだろうし、好きな人もいる。人それぞれである。ただ、アセクシュアルだから性描写が苦手ということまで繋がらないということ。それだけの話である。
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