仮面ライダーアマゾンの企画書に何故『原点回帰』と記したのか。

この話は少々長くなります。
仮面ライダーV3から説明しなければなりません。
仮面ライダーシリーズの中で人気絶頂と言われたV3ですが、当時の視聴率を見ると関西で36%関東で28.2%という最高視聴率を得ます。
次のシリーズ仮面ライダーXも高視聴率であろうと、毎日放送、スポンサーが思うであろう事は容易に想像できます。

しかしながら、仮面ライダーXは、初めて《ライドル》という武器を使う事になります。一部のファンからご批判があった事は確かです。そして仮面ライダーX7話を境にして視聴率が苦戦する事になります。
父の自伝書である【泣き虫プロデューサーの遺言状】にもある通り、毎日放送側から厳しいお言葉を頂戴し責められる様子が見て取れます。しかし、打ち切られたというエビデンス《確証》が何処にも無いのです。

此処で皆さんご存知の腸捻転問題が始まっていたのです。wikiには記載ありませんが、当時の郵政大臣である田中角栄先生が放送局などに果敢に交渉に挑むことになります。

父の練り上げた企画書はフォーマットがあり放送回数は26回とあります。26回とは毎週放送の6ヶ月という計算。視聴率が良ければ放送局、スポンサー共に続行の許しがでます。悪ければ切られます。

1号の時は波瀾万丈でしたが、一文字隼人、滝和也という素晴らしい役が盛り上げてくれました。桜島決戦と呼ばれた回には大変ファンに喜んでいただけたと思います。そのおかげで1号 編は第98話まで続いたのです。

余談ですが、父が藤岡弘、さんと約束したそうです。『君の復帰を待つ』その約束を果たせた映像を観て涙を流したとか。

視聴率で言えば最高値30.1%平均値21.2%

話を戻しましょう。
此処からは資料から考える私的な想像になります。
腸捻転の問題、仮面ライダーXを存続させるか、それとも6代目仮面ライダー始まりを模索するかという考えに至ります。
新しい番組をスタートさせるには相当の時間が必要です。存命中の父の話では6ヶ月は欲しいとの事。
此処で企画書の話になります。企画書は第一に誰に読んで貰うものでしょうか。
それは、放送局そしてスポンサーです。これこれこういう番組を作ります。プロデューサーからの熱いメッセージです。そこに『原点回帰』という言葉を入れたのです。此処でいう原点とは何処を指すのか。石ノ森章太郎先生は【異形のヒーロー】を求めていました。まさに、仮面ライダーアマゾンは今までに無い、インパクトが強烈な存在です。
そして、《大切断》という武器を使わない闘い。それでいながら《ジャングラー》というオートバイに跨り闘う。これが放送局、スポンサーに刺さらないはずがありません。
さて、腸捻転はどうなったのでしょうか。腸捻転(ネットチェンジ)が突然発表されたのは、1974/11/19のこと。
おそらく、プロデューサー平山亨が知らされて、青天の霹靂だったに違いありません。
仮面ライダーXの最終回は、1974/10/12
そして、6代目の仮面ライダーアマゾンの初回は、1974/10/19です。
仮面ライダーアマゾンの第5話の放送が終わった段階ネットチェンジの公式発表を知るのです。
それからは、始まったばかりの仮面ライダーアマゾンをどうするか?という苦悩が始まるのです。
企画書に書かれた放送26回を待たずに、ネットチェンジ(腸捻転)というどうしようもない理由で第24話で最終回となったのです。
捻れが解消されたのは、1975/3/31とされています。
仮面ライダーアマゾンの最終回1975/3/29
そして、翌週から7代目となる仮面ライダーストロンガーの初回となります。

今日はここまで。
お読みくださいまして、ありがとうございました。

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