見出し画像

写真で見る昭和30年代 24.02.22

猫の日ですが特にお構いなしに昭和の写真を上げております。
見出し画像は若かりし日の父です。
元写真は白黒で、夜撮ったからか全体的にグレーっぽく写りが良くなかったので、スキャンして画像ソフトでコントラストをいじってみました。
どこで撮ったものかは分かりません。ラジオの懸賞でバンコク旅行が当たったので昭和40年代に行ってきたそうで、その写真もたくさん残っているのでこれもバンコク旅行の時のものかもしれません。
ちなみに私の外見は全く父には似てません。

昨日古い雛人形を出したところ、横にあった箱を開けてみたら昔の写真が大量に出てきました。
母親は小学生の頃から、父親のものは中学を卒業して働き始めた頃からのものと思われ、親戚や、私は会ったことがなかった母方の祖父の写真や父の兄弟(叔父叔母)の若いころの写真も残っていました。
今回その一部を紹介したいと思います。

母の写真は学生の頃や会社勤めをしていた時のものもたくさんあり、中には会社の人と泳ぎに来た事があると言ってた、滋賀県の今津の水泳場で撮ったと思われる写真もありました。白髭神社の鳥居の前で撮ったと思われる写真があるので、それも多分その時のものだと思われました。母親は20代、昭和30年代半ばほどの頃です。

かすかに中央の人物上に鳥居が見えています。おそらく白髭神社の湖中鳥居。

母の家は裕福で、それもあったのか写真がたくさん残っていましたが父の写真は子供のころのものはありません。
とはいえ中学卒業後から働き始めた父なので、そのころの写真は少年の面影です。父の職人時代はこちらに。


後列左端が父です。昭和30年、職場での写真。4月ならまだ16歳です。
職場であり修行先のお店。西宮球場の目の前だったそうです。バルボンもここでスーツを作ったらしいよ!

以前書いた父の職人修業時代の記事の見出し画像に使いましたが、西宮球場前の広場で撮ったというメモ書きがあった写真もありました。
父は一見強面で黙っていると怖い印象でしたが、実は陽気で明るい人でした。10代と思われるこのころの写真は少年らしいあどけない表情で写っているものが多く、のちの父の人生を振り返るに感慨深いものがあります。

父は中学時代まで疎開を兼ねて祖父の本籍地三重県熊野市で過ごし、卒業とともに西宮で職人修行に来たようです。私の祖父、父の父親はもともと大阪で紳士服の職人をしており一人残っていたようなので、父は祖父と暮らしていたそうです。三重県に残った母親は後妻さんで、父とは血のつながりはなく、体が弱くいつもお金に困っていて父もひもじい思いをしたそうで、自分の力で働いてお金を得ることが出来るのは嬉しいことだったのだろうと思います。
そう思うと父の表情がどこか晴れ晴れとしているようにも見えます。

父はいい時も悪い時もよく働き、好きな映画や音楽をささやかに楽しみ、最後は職人として働き「今が一番幸せや」を口癖に生涯を終えました。
辛いことも多かったですが最後は幸せだったと思います。
私はこの人の血を引いており、さらにその仕事を継ごうとしている事を、改めて考えて気持ちが引き締まる思いでした。

そして、しつこいですが、昨年出会った元上司です。
その上司も中学を卒業してからすぐ働き始めたそうです。
人柄は父とは真逆で分かりづらい人でしたが、様々な苦労をしてきた話は聞いていて父とだぶるのです。
どうしているかな、助けになってあげたかったなと。
でも今はまずは自分と向き合わなければいけません。
誰かを幸せにするには、まず自分から。

そんな本日の記録でした。
おつきあいくださった方ありがとうございました。



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