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大人が観るに耐える映画/男と女Ⅲ 人生最良の日々

こんばんはrieです。今日は映画鑑賞記を綴ります。

「フランス映画祭2019横浜」にて「男と女Ⅲ 人生最良の日々(仮)」を鑑賞してきました。

上映前にはフランシス・レイの追悼イベントとして名曲の演奏とクロード・ルルーシュ監督、岸惠子さんの対談が、上映後には監督が観客の質問に応えるというスペシャルな内容。岸さんが日本の映画関係者に言い放った「大人が観るに耐える映画を!」の一言には会場から拍手が沸き上がりました。

「男と女」の公開が1966年。実に50年以上の時を経て同じ監督、同じキャストで映画が作成されるという映画史上初の試みについて監督が想いを語っていらっしゃいました。まさに奇跡の映画。来年公開です。公開まで待つという方はここまで。

「ブレーキじゃなく、アクセルを踏もう」

念のため、実際車の運転をされる場合はブレーキを踏んでください。

ジャン=ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は記憶を失いかけ老人ホームで暮らしている。見かねた息子は父がずっと追い求めている女性アンヌ(アヌーク・エーメ)を見つけ出し、二人は再会を果たす。

老人ホームの庭での会話のシーン。風がアンヌの髪をなびかせ、かきあげる姿を見てジャン=ルイは、「愛した女もよくそうしていた」と懐かしむ。記憶が薄れていることもあり会話がまともに成立しない。舞台は老人ホーム。ただ、好みの介護福祉士を口説いているところからも色男としてのジャン=ルイは顕在(イヤらしさはなくむしろ粋のレベル)していることが見て取れる。

一方、逆光の中にいるアンヌ。全身黒ずくめ(bagまでも)のファッションでも悲壮感がまったく感じられず、紅いルージュはまさにフランス女。死に対する恐怖や不安を超越し、その先の世界を生きている一人の男と女がただ存在している。輝かしい未来もないが、絶望もない。吹き抜ける風が心地よさすら感じさせる。

上記の「ブレーキじゃなく、アクセルを踏もう」はかつてレーシング・ドライバーであったジャン=ルイらしいセリフ。老人ホームにいる男らしからぬ言葉。生活そのもがバケーションであり、退屈な時があればそれは死ぬとき、といいきる監督。ジャン=ルイは監督自身だ。

二人の会話はほとんど証人がいないところ、自然だけが証人のシーンが多い。その儚さがまさに大人の映画。ジャン=ルイは本当に記憶を失っているのだろうか…

監督も、キャストもほぼ90歳。人生100年時代に勇気を与えられる。

憧れの街への引っ越し資金とさせていただきます^^