オフレコで同期する

わけあってSNSを見ることを消極的にしている。
具体的には、SNSのアプリをiPhoneにDLしていない。ちまちまブラウザで1日1回見るにとどめている。本音のような得体の知れない匿名性が好きでツイッターは読むが、インスタグラムは百鬼夜行みたいだし、グループLINEが鬱で、気に食わないと知人でも積極的にブロックしておき直接会ったときに叱責を受けるのである。いわんやFacebookをや、である。

半年前、学生時代のクラスメート4人のうちひとりが結婚し渡米するというので、5年の任期の前に会う約束をした。最後に4人のうち数人と集まったのが2019年の年末、つまり新型肺炎の流行のわずか3ヵ月前であった。それ以降、友人同士では主にSNS、LINEであるとかインスタグラムであるとか、Zoomなどによる画面上の交流しかなかったわけである。構成員の一人、静岡に住んでいる子とは熱海で落ち合あって簿記の3級をとってみたが2級までたどりつくスタミナが無い怠惰な部分をさらけ出したりした。それ以外の3人とは近況という近況もおのずと画面にのせられうる強度のある幸せな投稿しか、自分からは見せられることができないし相手のそれも共有されずに丸2年経った。
 そんなわけでお互いの放送上に乗っかる表層しか同期しないまま集まった女が5人。集まってどんな話になるのかと思いきや兎に角体型についての心配をやたらされるわけである。痩身、などではなくやつれたと言ったほうが正しい容姿について言及されれば私生活、仕事について吐露せざるをえない。
そこから堰を切ったように出てくるわくるわ、パワーハラスメント、バリバリの上司、不倫、と妻帯者隠しの不倫、独身者への同調圧力、渡れない外国の地、ふがいない配偶者。
平凡な日常に飽き、ネット用語で言うところのメシウマを求めて、お互い今回会ったわけではない。と、思いたい。しかしひとが生きているだけで、トラブルというのは五月雨式に降りかかる。そんなもんを、雨雲レーダーのように投稿するわけにもいかないよな、とドン・キホーテで大量に買いだされた酒瓶を眺めつつ思った。同い年の女たちのアルコール摂取量にも驚く。

SNSを通じて断片的に入ってくる情報を読み、気持ち悪いなとうすうす感じていた人間像に本人が追い付いてきた。疫病の時代にそんなオフレコの貴重さを噛みしめるのであった。

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