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ぶつ切りのわたし


 いくら人間関係を繰り返してもまだ慣れられず、考える。
自分という人間を100%他人に預けて理解してもらうことは不可能だということだ。
自分の一部しか渡せないし、手渡しても全く違う色として相手側には見えることだってある。
様々な人にぶつ切りの私を渡す。
 そして私の肉体が死んだ日には、配偶者、血縁者、友人、先輩後輩に葬式に来てもらい渡してあったぶつ切りの私を組み立てて欲しい。
 そうしてガンダムプラモデルのように完成した私について、こういった人間だったのかと語り合ってくれるのならば本望だ。

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