見出し画像

患者と間者と春の夜

自動ドアを抜けて彼女は言った。
「本当に息が詰まりそうだったから。」と。

土曜日の夜9時に
「明日空いてない?
会って話したいよう」
というメッセージを受け取った。彼女に会っておきたいなと思っていたところで
「待って連絡しようかなと思ってたところ!」
そう返した。
「嬉しい!!天使!神!!
やった!じゃあ明日会おう」

 いつも行くところでコーヒーを飲もうという約束だけを取り付けた。その1時間後に震えたのは携帯電話ではなく、地面だった。震度は4とのことだった。頭をよぎったのは10年前のことだ。10年という積み重ねた日々は、容易にがたがたとまた同じ3月に崩れ落ちた気がした。

 天使の日曜は所用に追われ、午後の3時にようやくカフェにたどり着いた。彼女からは二度ほど催促のメッセージを受諾していた。

 カフェを挟んだ区画に新たにリサイクルショップが開店したことも手伝って、道が混んでいた。同じく店内も混んでいた。カウンターに友人の姿を見つけ、遅れたことを詫びつつ二人がけの卓に移動した。マグカップいっぱいの紅茶を頼み、トイレを済ませてようやく席に着いた。

「あけましておめでとう」
2月には遅すぎる挨拶から始まり、お互い変わる職のことと住所のことを交換した。
今日で終わってしまう種類の飲み物を憂い、新しい住まいの新しい家具をIKEAのウェブサイトで見て、似合う服の色について教えを乞うた。顔の血色について。2時間はゆうに、飲み物一杯で粘る。
そして先日の健康診断の採血の話だった。結果の話ではなく、採血の方法の話だ。保健師は左腕では採血できず、右腕に細長い管のついた注射器を取り出していたと彼女に話した。
そう彼女は医療従事者なのである。
2020年には酷使され、2021年には犠牲の下に抗体を投与される。

 こんなことがある度、自覚させられるのだ。
自分には友人がいないと常套句のように書いてしまう。しかしそれは言葉のあやであり、錯覚でもあり、世界の片隅からこちらの片隅に歩いて来てくれる人が自分にはいる。そのことを忘れてしまうのだ。彼女ら、彼らはこう声をかけてくれる。「コーヒーを飲みに行こうよ」、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?