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ミルフィーユ なぜ書くの


二日平日の休みだった。
ものすごく久しぶりにフットワークが軽くなり、厳重体制でも営業再開してくれた早稲田松竹へ映画を観に。
「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」レミ・シャイエ監督のアニメーション
帰りには丸善書店で「ここは、おしまいの地」こだま著を買ってずっと電車で読んだ。
また今日はシネコンがレディーズデーなので観にきた。
「わたしの若草物語 ストーリー・オブ・マイライフ」グレタ・カーヴィグ監督

 映画や本を吸収しながらわたしは、なぜこういうように書いたりそれを残したりするのかと共通して考えたのだった。大学の授業でAutographyやBiographyについてざっと習った。しかしこれは日記。完全なる私的な記録だ。

 つまるところ、その人にしかいけない場所と刻む時間と嗅ぐことができない臭いがそれほど貴重なものであるかということになる。どんなぼんやりとした午後二時だってその人にしか使えない二時だし、世界から忘れられたあらゆる交通機関を経てもたどり着かない奥地の集落に目と耳がありペンを持っていけば文学になる。「ロング・ウェイ・ノース」で祖父が北極点に突き立てた旗のように、世界のどこでもそこが中心だ。
 こだまさんが同人誌から公表を始めた「文学フリマ」という催しがある。自分のタンスのお古を売るが如し、脳内の思考のお古を紙にイタコおろしして誰かに買ってもらう。自分が生産者になる気持ちよさはその快感を味わった人にしかわからない境地だと感じる。
 毎日毎日くだらないこういう「そもそも書くことって」とだらだらだらだら考え続けている自分の脳内のことも残さなければ、と思う。


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