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日本人の先生がブータンのピクニックで涙を流した理由

先日学校のスタッフとピクニックに行った。ブータンのピクニックをなめてはいけない。ピクニックと言う名の数時間に及ぶ山登りが普通のブータン人。それが分かっている私はいつも「ピクニック」と言われると「車から降りてどのくらい歩くか?」を先ず尋ねる。自分をブータン人と同じペースで考え無い事。ブータンで生きる日本人の私にはこれはとても大切な事である。

事前にこのピクニックの為に打ち合わせを一時間以上していた私達だが一つ今年は気を許していた事があった。それは毎年場所を確保する為に前日組がそのそれぞれのスポットでキャンプを行うのだが、今まで選んでいたスポットには毎年誰も来た事がなかったので、「まっ、大丈夫だろう」という事で、前日組を送りこまなかったのである。この前日組の仕事も結構大変なのである。寒い夜寝袋に入って、全く明かりが無い所で火を焚きながら夜を明かし、当日の朝ご飯を皆の為に作って待つのである。昨年などは木を切り倒し、何とベンチまで作っていたから、「ブータン人をなめてはいけない」と改めて思ったものである。

朝早くから出発し、先に何人かの先生方が私達より早く出発していたにも関わらず、今年は近所の公立の学校の先生方にスポットを取られてしまっていた!もちろん彼らは前日組を送り、しかも学校の名が入ったサインボードまで作っていたから、、、完全に敗北を認めざるを得なかった。結局私達はこじんまりとした場所を近くに見つけ、早速グループに分かれて作業に取り掛かった。

ぺルキルのピクニックは先ず「火を起こす」ことから始まる。キャンプではない事をここでもう一度強調しておこう。

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男女の差があまり無いブータンでは女性も普通に竈を作り、火を起こせる。それがとてもカッコよい。当たり前の様にサクッサクッと女性は仕事をこなしていく。日本人の先生と私がコンビでネパール風の前菜を作るのだが、ピーナッツをローストする係の私はやはりなかなか作業に動けない。何故なら、人生において「火を起こす」という作業を極端にした事がないからだ。

そこで私が思いついたのは、「火を借りる」こと。

昼食組のグループの火を前菜組だからと言って、ちょっと借りた。これでばっちりピーナッツをローストする事が出来る。見よ、この満面の笑みを!笑

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そうこうする内に、チャイ(インド風の甘いお茶)担当の男性二人がお茶が出来たと言うアナウンス。いそいそとチャイを貰いに行く。男性二人が作ったこのチャイは、18年間のブータン生活の中で3本の指に入る程の美味しさ!ちゃんとビスケットも用意されている。ショウガが効いているこの美味しいチャイを男性が作った、、、、「良いぞブータン」と思わず心の中でガッツポーズをする。

私達の前菜が出来上がり、お店が開く。前菜と共にジュース・お酒が配られる。ウィスキー、ビール、アラ(ブータンの焼酎)、ワイン、、、さすが自分を楽しませる為に力を入れるブータン人、何でも揃っている。ここからは皆お酒を飲みながら料理を作る。

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物理の先生としてブータンで一番名がある学部長のご自慢の豚肉料理も出来上がり、だんだん盛り上がってきた。この豚肉料理は超美味しく、お変わりを何度もしてしまった。

こういったピクニックに行くと学校とは全く異なる顔を持つ先生方に会えるのも私の一つの楽しみ。こちらの会計学の先生、、、学校ではとっても無表情なのだが、実は彼は山男だった!テキパキと学校では見せない速さで動き、瞬く間に火を起こし、ナイフを持って肉・野菜を切り分ける。彼の動きを見ていると、思わず「素晴らしい」とため息をついてしまう。(でも、学校で会うとやっぱりいつもの彼に戻っていたが、、、涙)

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そして料理が出来上がるまで時間があると、、、、、踊りが始まる。過去にスピーカーの充電電池が切れた経験から、今年はバッテリーまで借りて用意をする気合の入れ様。

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さすがである。ここまで用意周到に出来るのであれば、どうして学校の仕事で同じことが出来ないのか、と経営者側の人間としては突っ込みを入れたいが、まぁ、二つの事を求めても仕方が無いという事は経験から学んだので多くは求めない。

お酒を飲みながら料理をし、男女問わず踊りまくる。どんな踊りでも上手でも下手でも良いのである。誰も何も言わないし、誰も他人を気にしない。女性の先生方が躍る中、男性の先生方が料理が焦げない様にかけ周っているのもブータンらしい光景である。ピクニックは天気にも恵まれ、最高潮に達しつつある。

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そんな中、日本人の音楽の先生が一言「私何でブータンにいるんだろう。」と呟き、そして涙を拭った。

私はその瞬間、彼女の気持ちにちょっと触れる事が出来た様な気がした。

紅葉した黄金色の葉がヒラヒラと風に吹かれて途切れなく舞い落ちていた。静かな森林の中、自分達を思いっきり楽しむ。その瞬間、瞬間を楽しめるブータン人に囲まれていると、明日の問題は明日考えれば良いじゃないか、という気がしてくる。それがブータン流。今から心配しても問題自体は変わらない。それなら明日考えれば良いではないか。

私達は大きな自然の中で生かされている。この大きな自然の中で自分がコントロール出来る事は少ない。それならくよくよ悩まず、今この瞬間を一生懸命生きれば良いではないか。

ご飯を皆で食べてから、自然の力を借りて、後片付けをする。砂や灰で洗うと本当に良く落ちる。ありがとう、美しい自然。今日も私達は生かされている。

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